一輪


120319

1年前、2011年の3月19日は、
「独唱〜Journey〜」京都
SOLE CAFE。
当初、息子を実家に預けて、
ダンナとふたりで車で行くつもりだったが、
子どもと年寄りを置いて行くのがどうにも不安で、
どっちみちガソリンが手に入りづらかったこともあり、
直前で新幹線に切り替えて、家族3人で京都へ向かった。
何も変わっていないのに壊れてもいないのに、
日に日に緊張を増して行く東京から、
一瞬でいいから逃げ出したい気持ちがあったと思う。
スーパーやコンビニから商品が消え、
平日の昼間からガソリンスタンドに車が長蛇の列を作り、
東京は明らかにぶっ壊れていた。
ぶっ壊したのは、何かをなくした絶望じゃなく、
何かをなくすかもしれないという恐怖だった。
前年の秋にすでに組まれていた、3/19京都というスケジュール。
私は最小限の家族とともに、
逃れるように、すがるように、
東京をあとにした。
そしてたどり着いた京都で、
たどり着いてくれたお客さんたちの前で、
その2日ほど前に書いた「一輪」という歌を歌った。
「一輪」は、その後アルバムにも収めたけれど、
あの、2011年3月19日のためだけに生まれた歌かもしれない、と、
1年経った今、思う。
あんな気持ちで桜を待つ春は、
たぶん、もう二度とないから。
生涯いちどの春を、私はあの歌の中に閉じ込めてしまった。

あの日、私と一緒に時を過ごしてくれた人たち。
(それはどこにいたとかじゃなく、私の歌を思ってくれていたという意味で)
そのやさしさは、まさに荒野に咲く一輪だった。
ライブが終われば急ぐ旅でもなく、もう一泊しても良かったのだけど、
私たち家族は、やさしい一輪を胸に、
翌日予定通り荒れ模様の東京へ戻った。
そうするべきだと思ったから。

そして1年。
時が経って、悲しみも痛みも、むしろあざやかに感じる。
でも、私は、生きるべき場所で、
生きるべき時間を生き、
まだ生きるべき季節があると確信する。

花は、咲くのをあきらめたりは、しない。