8月の活字


「コロナ禍と出会い直す」の人類学者、磯野真穂さんと、末期癌の患者だった哲学者の宮野真生子さんによる往復書簡の書籍化。2019年の作品。「急に具合が悪くなる」かもよ、と主治医に告げられた頃に始まり、2ヶ月足らずでほんとうに「具合が悪く」なり、宮野さんは最後の1通まで書き終えるものの、本の完成を待たずに亡くなる。でもそこにお決まりの感傷はなくて、人類学者と哲学者の真剣勝負みたいな言葉のやりとりがひたすら綴られている。「死」を挟んで、「生き抜く」ための言葉のキャッチボール。時に豪速球、ふわりとチェンジアップ、よく落ちるスライダーもあり。はっとする、ひっかかる問いや考察があちこち罠のように落ちているので、読み終わったそばからまたぱらぱらめくったりしている。響くフレーズはたくさんあったけど、簡単に引用するのはなんか違う気がして。気になる方は読んでみてください。きっと、あなたがひっかかるとこは、わたしと同じじゃないと思う。来年「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督で映画化されるそうだ。なんとしても言葉に、という宮野さん磯野さんの学者としての気迫に共感しつつ、言葉では伝わらないこともあるかもしれない、とも思うので、邦画ではなくフランスで撮られるということだし、映像も楽しみかな。

それにしても、書簡の中でも語られるように、偶然のように必然のように運命のように出会って、すでに別れが遠くない中、みじかい日々に思いがけずお互いがお互いに深い足跡を残す、そんなふうに人と関わったすぐあとで、人と人が隔てられることが是とされた疫病禍。磯野さんの胸中如何ばかりだったかと思うけれど、問うことをやめず、「コロナ禍と出会い直す」をかたちにされたのは、「急に具合が悪くなる」の経験もあってこそだったのかな、と、勝手に思いました。

江藤淳、加藤典洋、文芸批評の巨人ふたりの足跡をたどりながら、時代を映してきた文学を通じてあらためて戦後史を歩き直す、という歴史学者・評論家與那覇潤さんの新刊。そう書くととても難しそうで、実際参考文献読むだけで死ぬまでかかりそう、と頭を抱えるけど、読んだことがあったり、見覚えのある書名をガイドに、時代背景は想像するしかなくても、その悲しみ、怒り、疑問、あ、知ってる、と思いながら、知らなかったことにたくさん出会った一冊だった。時々noteも読ませていただいている與那覇さんの文章がわたしはとても好きで、この本も硬軟取り混ぜながら、時折感傷のにじむ與那覇節全開で、ぜんぜん、敷居は高くないです。とりあえず太宰と三島をできる限り読み直そう。そんなふうに読んだことなかったけど、ふたりとも第二次大戦を挟んで、「なかったこと」にできずに苦しんだ人たちだった。その表現は、いま読むべきだと思った。

8月15日を過ぎ、甲子園が終わると、まだまだ暑いけどすこし日が短くなったような気持ちになる(実際、気がつくと日暮れが早くなってる)。終戦から80年の夏。毎年夏になると偉い人たちが「くりかえしません」と念仏のように唱えるけど、ほんとうに「くりかえしてはいけない」ことって、なんだろう。戦争をしなければ、核兵器を持たなければ、平和なんだろうか。

「はだしのゲン」も「火垂るの墓」も通ってきた昭和のおばちゃんは、古典にヒントを探しつつ、そして、本物ってなんだろう?と秋に思いを馳せながら、ビールと沈思黙考しばしば寝落ちの2025年猛暑サマーです。甲子園とタッチ交代でテニスの全米オープンが始まるので、気温同様まだ夏は終わらないけどね。