思い出す、ということ


もう1年? まだ1年?
ありふれた感慨とは思いつつ。
小雪舞う中、春の花を持って初めての命日、お墓参り。
仲良しだった孫、ウチの受験生に愛と勇気を、と願いを携えて。

菩提寺のお住持さんがいつも、
「思い出してあげることが供養ですよ」って言うので、
今日は命日だしなるべくいろいろ、と思うけど。

なんかあった時、お父さんがいたらなんて言っただろう?
って思うことは増えた気がする。
生きてるうちは、意見聞こう、なんて思ったことなかったのにな。
普段は忘れてることの方が多くて、
でも時々、ああ、いま会って、酒飲んで、ちょっと話したいなって思う。
そしてそのたび不意に、もう会えないんだって気づく。

去年の今頃、卵みたいに抱いてた歌たちは、
「STAY FOOLISH」というアルバムとなって無事生まれ、
続けて生まれた次男坊「Lighthouse Keeper」は、
昨日にも明日にも誇れる忘れ難い作品になった。

お父さんがいてもいなくても、同じことやっただろうけど、
1年経って、やっぱり思う。
お父さんがいたら、なんて言っただろう?

ともにあった日を思うのではなく、
ともにありたかったいまを思うこと。
その淋しさの中に答えを探しながら、日々を行く。
思い出じゃない。思い出すって、たぶんそういうことだ。