Road to 419キャンセル、そして現在地


 何から話そう? とか考えていたら、あっという間に1週間。喪に服していた、ということでお許しを。さくっとブログで、と思っていたけれど、予想外に長くとりとめなくなったので、エントリーはノーコンエッセイにした。忘れ難き2020年春の記憶と記録。あとで探しやすいし。  

 まずは、419開催断念、ひとまず延期というお知らせが、本番2週間前という直前ではないけれどわりと近いところになってからの発表となったことをお詫びしたい。持ち前の往生際の悪さフル稼働で、約1ヵ月の間、もしかしたら、を捨て切れず、捨ててはいけない捨てたくない、と歯を食いしばって過ごしていた。ギリギリまで待ちたい、という気持ちも最後まであったけれど、願いもむなしく状況は好転せず、もはやきれいごとではなく関わる人すべての健康と安全が最優先ということで、4月4日土曜日夜、公演延期を発表させていただいた。27周年となる春の宴、チケットをお申し込みいただき、楽しみに待っていてくださった皆さん、申し訳ない。そして、それぞれの気持ちを抱えながら私の決断を黙って待ってくださったこと、ありがとう、ほんとうに。

 地下、もしくは地上でも音漏れの無いよう密閉された場所に、出来るだけたくさんの人にぎゅっと集まってもらって、大きな声で歌を歌うこと。これは私の主要な業務のひとつ。いわゆる三密。泣き笑いのビンゴ。その正当性を頭では理解できても、カラダが拒否する。もうだいぶ慣れたけど、毎日何度となく目にしたり耳にしたりしてしまうこの事実と向き合うのがつらくて、それも決断に時間がかかった理由のひとつかもしれない。世の中のお役に立とうなんて大それたこと思って歌ってきたわけじゃないし、吹けば飛ぶよななりわいだってことは百も承知でやってきたけど、そいつぁあんまりじゃないか、全否定じゃないか、どうしろってんだ、と恨みつらみはあふれるてくる。ところが相手が幽霊みたいなウィルスじゃあ、どこにもケツの持ち込みようがない。久々に心が荒んだので、よせばいいのにツイッターを眺めて悪態ばかりついていた。

 やかましいわ。そんなことわかってんだよ。安い正義で余計なこと言うな。どう見てもデマ情報を恩着せがましくリツイートすんな。不安商法繁盛しすぎ。乗るヤツ多すぎ。陰謀好き多すぎ。文句言いたいだけのヤツも多すぎだけど政府もケチすぎ。人のことはほっとけ。うるさい、黙ってろ。ばか。  

 嗚呼。災厄の時に在って人の心は斯くも香ばしく、ツッコミどころに事欠かず、私の心は斯くも狭く、みみっちい。そして月末の支払いに頭を抱えたことなどなくおうちで犬など抱っこしている我が総理の滑舌は今日も絶望的に悪い。

 尊敬するスポーツライター藤島大さんのライター講座で教わったことのひとつに「ちょっと待てよ、と思うこと」というのがある。特に、世間がひとつのトピックスで沸く時、反射的に反応するのではなく、ちょっと待てよ、と踏みとどまり、別の視点がないか探すこと。物事はどれも多面体であるから、ぱっと見えやすいことの陰に必ず見えづらい別の面がある。これは歌を書くという作業に於いても同じなので、金言として胸に刻み、何かを発信する時の指針としてきた(つもり)。でもここ数週間、かつてないほど心がささくれ立つ中で、SNSとの付き合い方は難しかった。関係ないことをつぶやけば強がってるみたいだし、まともに向き合えば泣き言になる。ちょっと待てよ、ちょっと待てよ、と言い聞かせながら、苛立ちに負けた発信もあったかと思う。もともとSNS得意じゃないし。修行が足りない。

 Road to 419キャンセル。最初に連絡したのはリハーサルスタジオ。次にバンドのメンバー(メンバーにはすこし前から、いろいろな可能性ありということで、断続的に状況を知らせていた)。最後に会場である代官山UNITに開催断念、ひとまず延期を伝えたのが発表の前日(UNITとも3月半ばからやりとりを重ね、ぎりぎりまで開催の可能性を探っていた)。たったこれだけのことに4日くらいかかった。半日がかりでメールを書いて、送信ボタンがどうしても押せなくて、ホントにいいのか? いいのか? 押したらホントになっちゃうぞ、いいのか? と100万回逡巡してる間に夜になって。そういうくり返しだった。そして4月4日の夜、最後の最後、HPに延期のお知らせをアップし、メールマガジンを送信し、リンクを貼ったつぶやきのツイートボタンを押したらどばっと涙が出た。ライブが決まるといつも「カレンダーに花丸付けてねー」とお知らせしてた。デビューから27年、初めてその花丸を消してくださいというお知らせすることになった。悔しくて悔しくて、奥歯をばりばり噛みしめながら泣いた。  

 メールをくださった皆さん、ツイッターにコメントしてくださった皆さん、ありがとう。全部読んだ。うれしかった。でも返信できなかった。ごめんね。

 歌うためだったら、寝なくても儲からなくても何としても乗り越えるし、乗り越えてきた。でも、歌わないための作業は、考えるのも書くのも話すのも、何もかもが信じられないくらいくるしくて、悲しくて、ただただ呆然としていた。何を大げさな、と笑ってくれて構わない。死ぬわけじゃなし、と言う人に、これは死だ、とわかってほしいとも思わない。みんなそれぞれのリアリティで生きている。誰のせいでもない。誰も悪くない。いまも連日どこかで誰かが、自分で作ったものに自分で死の宣告をしている。ただそれだけのことで、たまたま私が当事者であったというだけのことだ。三密回避も、ソーシャルディスタンスも、外出自粛イベント自粛も、うっとりするほど正しい。でも正しさの雨に肩を打たれ、立ち尽くす人もいる。「一丸となって」という言葉を聞くたびにそこからこぼれるものを思ってしまうのは、私が不要不急を天職としている自転車操業の音楽家だからだろうか。天災、疫病。自然は容赦なく淘汰する。それに抗おうとするがゆえに、社会もまた淘汰する。何を守り、何を捨てるのか。人間は時々試される。

 悶々と過ごしていた日々、あーもーロックダウンでも都市封鎖でも緊急事態でもなんでもいいからやるならさっさとやって! 殺すなら殺してくれ! と叫びたくなる時があった。そうなれば自分で決めなくていいからだ。世の中がはっきりとそういうことであるのだから致し方ない、とあきらめられるからだ。結果、延期発表の3日後、4月7日夜に緊急事態宣言が発令されたので、ぎりぎりのタイミングだったけれど、自分で決める、ということを手放さずに済んでよかったな、と、いまは思っている。なんかもうものすごく前のことのように思うけど、1ヶ月前3月8日の独唱「私である、ということ」。それは、自分で選ぶということだった。あの時、広がり始めた不安の中、自分で選んだ。そしていま混乱のさなかに自分で決めた。それはせめてもの救いかもしれない。負け惜しみに似てるけど、いまそれくらいしか気持ちのすがるところがない。

 新型コロナよ、どこへ行く。いつまでいる。東京の感染者数はいよいよ右肩上がりで、この先しばらく増え続けるだろうけど、ま、人が多いからしゃあない。419が飛んで、いま私にできることは家にいることだけになってしまったので、数字は、グラフは、統計は、見るのではなく読み解かなくてはいかんのだなあ、と、悪態をつきながら眺めたツイッターから学んでいる最中。  

 お医者さんすごい。月並みだけど、医療従事者の皆さんに感謝と拍手。心から。いまは専門家の説くリスクに真摯に耳を傾けるべき時だと思う。ただ、すべてが「感染拡大防止!」という誰も太刀打ちできない正しすぎる正義に塗りつぶされてしまうのは、ちょっと待てよby藤島大、と思ったりもする。携帯の位置情報云々というキナ臭い話もしらっと聞こえ始めてる。ゆる〜い緊急事態宣言は批判もあるけど、自粛という名の兵糧攻めになってしまってもいるけど、恐怖に駆られて、あるいは正義の名の下に、見境なく扉を開けるのはイヤだなと私は思う。2月8日の独唱、タイトルは「自由である、ということ」。こんな時だからこそ、手放してはいけないものがある。死なないために、ではなく、生きるために。

 誰かにとって大事なものは
 誰かにとって紙くずだ    

 と歌ったのはいつだったろう。自分が紙くずみたいに思えたのは初めてじゃないけど、こんな風に音楽を失うのはもう二度と勘弁してほしいとつくづく思った2020年春だった。419延期日程は現在調整中。すこし時間かかるかもしれないけど、皆さまどうか息長くお待ちくださいませ。そして来たるべき日まで、ライブハウスが持ちこたえてくれるよう、祈ってくださいませ。現場はもうすでに焼け野原です。  

 正直、新型コロナに罹患するのはそれほど怖くない。運が悪かったら死ぬかも、あと、あんまりうつしてないといいなと思うくらいで。怖いのは、この先もしかしたら何年もステージの幕が開かないんじゃないか、ということ。生まれて半世紀を過ぎ、デビューして27年。いろんなことあったけど、歌えない、という恐怖を初めて味わっている。だからいま、あんまり希望が言えない。そんなに簡単じゃない。当事者になるってこういうことか、と思い知っている。たぶん、学んでいる、未知のウイルスから。

 戦争には勝ったけど味方も全員死んだ、にならないことを祈りつつ。この学びから生まれる歌はあるだろうか。2020年4月11日現在、とりあえず私はまだ、自分が音楽家でよかったなと思ってる。なんで会社員じゃないんだ、給料減らないならソーリダイジンでもよかった、と一瞬思ったことは、ナイショです。  

 お天気週間予報。来週金曜土曜雨マーク、お、日曜は大丈夫みたいだ、と反射的に思ってしまう。まだそんな感じです。みんな、元気で。またきっと会いましょう。愛をこめて。