ひとすじなわではいかずとも、ひとすじの道〜広島・そしてもう会えないひと〜

2月8日の朝。自宅から駅へ向かう道。


滑走路も雪景色。みんな心配そうに外を見てた。


1995年1月の「いとおしいグレイ」ツアーは阪神大震災、2020年4月の「アイムノーバディ」は疫病禍、わたしが元気なのに歌えなかったのはこの2回。まさか3回目があるなんて。

2時間半遅れて飛行機は飛んで、広島空港上空までたどり着くも視界不良で着陸できず、無念の羽田引き返し。初めての経験。あの日の混乱を思い出すと、いまもちょっとへこむけど、わたしの気持ちを心配してメールをくれた皆さん、SNSでコメントしてくれた皆さん、すぐに新しいスケジュールに対応してくださった会場、感謝と救いもたくさんの日でした。あらためて、ありがとうございました。

万策尽きて航空会社のカウンターの前で呆然としたあの日から3週間。3月1日。晴れた空。手を振ってるみたいだった富士山。


着陸。


7年ぶりの広島。cafe Jive、わたしは初めての場所なのに、2回目っていうお客さんたくさんいました。日付が変わって参戦できなくなった人、参戦できちゃった人もいました。0208、0301、どちらも忘れ難い足跡。ほんとうにありがとうございました。会えた人、また会いましょう。会えなかった人、またきっと会いましょう。どっかのバンドは客席でお客さんが歌うの歌わないの揉めてましたが、わたしの歌はあなたの歌でもあるから、どうぞ、歌っちゃいましょう。あんな日もあったね、って、いつかみんなで笑って振り返りましょう。いつか振り返るために、いま、前進しましょう。

「大変でしたね!」と口々に気遣ってくれたJiveスタッフにも感謝を。そして素晴らしいアップライトピアノに敬意を。ちょっと鼻水気味だったポンコツシンガーは、表情も感情も豊かなこのピアノにずいぶん救われました。広島の新しい相棒。またきっと。


実はcafe Jiveは前から名前だけ知っていて、それは、30年以上前いちどだけお世話になって、素晴らしいピアノと「なんて素敵な人だろう!」と思ったことが忘れられずにいた元レイニーウッドのピアニスト、上綱克彦さんのお店だったから。そのことは伝えずにブッキングして、もし当日お会いできたら話してみようかな、でも覚えてないかな、なんて思いながらだったんですが、上綱さん当日会場にいらっしゃって、終演後「覚えてますよ、「海になりたい青」持ってますよ」っておっしゃっていただけて、うれしかった。歳を重ねても上品でノーブルなたたずまいは変わらず。行きつけの飲み屋に連れてっていただき、再会の乾杯。ゆらゆら酔っ払って、また会いましょうと約束して、握手とハグでお別れしました。


翌日は曇り空。山と河の街。縁もゆかりもないのに、来るたびになつかしくなる街。次は海の方へ行ってみようかな。


中身がリニューアルされた原爆資料館は、変な言い方ですが前に来た時よりものすごいパワーアップしてました。そして外国からのお客さん山盛りで、平日の昼間なのに混んでてびっくりした。人波に混じってじっくり見てたら、気がつくと入ってから2時間超えてました。

外国の人はどんなふうに思うんだろう。若い人たちはどんなふうに感じるんだろう。どうしてこんなことが起きてしまったんだろう。どうしてこんなことになるまで戦争をやめられなかったんだろう。折りしも、戦争が始まった、というニュースを聞きながら、世界もまた、ひとすじなわではいかない現実を噛み締めつつ。


旅の終わりを惜しむかのように降り出した雨に送られて、帰路につきました。東京が見える頃にはもうすっかり日が暮れて、見下ろす街には光の河が流れ。広島リベンジ、いつにもまして「旅」でした。

独唱2026〜JOURNEY〜
2026.3.1(日)広島 LIVE cafe Jive

01.心のゆくえ
02.名前の無い週末
03.遠くから
04.LIKE 17
05.ライブハウスで会いましょう(未発表)
06.S
07.ひとり
08.2025(未発表)
09.同じ様に朝が
10.感傷
11.満月

E.C
01.熱狂(未発表)
02.愛している

最後に。

各地MCでお話しましたが、年末に義理の母(88歳)が入院、年が明けて自宅に戻りましたが、1月21日に亡くなりました。急なことで落ち着かない日々が続いたこともあり、大阪、名古屋は物販のキーホルダーが間に合わず、後日郵送とさせていただきました。29日に葬儀を終えて、2/8の広島分はやっと間に合った!と思いきや中止というオチ。

わたしのような謎嫁を大事にしてくれて、息子がちいさい時はいつでも預かってくれる頼もしいばあばでした。今回の冬の旅、各地アンコールの最後はばあばのために1曲選びました。大阪は「向日葵」、名古屋は「Time will tell」、広島は当初「LIKE 17」の予定でした。

思いがけず広島が延期になり、今度こそと準備を進めていたところへ、もうひとつ訃報が届いたのは2月24日。東北放送の長岡健市さん。享年55歳。

わたしがフリーランスになって以降のお付き合いでしたが、東北放送でラジオ番組をやらせてもらったり、仙台でのライブの橋渡しをしてもらったり、アルバムのおまけCDを一緒に作ったり、あとはとにかくよく飲みました。外でも、途中東京に転勤の時期があったのでウチにもよく来たし。本人不在でファンの人が集まって、大音量のCDに合わせてみんなで歌うという「歌声喫茶篠原美也子」は長岡さんの発案。その時の打ち上げで、お互いをネット上でしか知らなかったファン同士のリアルなつながりが生まれました。

ここ数年は時々メッセージのやり取りをしたり、SNSで動向を眺めたりという感じで、なかなか会う機会はありませんでしたが、変わらず精力的でよく飲んでよく食べて家族を思って、だから、ただ、もう、驚く以外、信じられない以外、ありませんでした。

2月27日、仙台弾丸でお通夜へ。顔見たけど、やっぱり信じられなかった。

—— 希望はいつでも絶望という名の服を着て笑っている

広島リベンジ公演、アンコールの最後は「愛している」を、お願いして皆さんにも歌っていただきました。ばあばと、長岡さんへ、あの、歌満ちた夜が、どうか届くように祈りながら。

もう会えないひとが増えていく。わたしたちはなんて遠いところまで来たんだろう。でこぼこだらけの、だけどひとすじの道。淋しいけど、振り向いた時、手を振ってもらえる自分でいよう。遠くからでもわかるように、思いっきり手を振り返せるように、わたしは全力で、わたしでいよう。

2026年、60年にいちどの丙午。なるほど、手強い年になりそうだ。喜び、悲しみ、生きること、死ぬこと、目一杯詰め込まれたひとすじなわではいかない冬の旅を終え、なけなしの勇気で、さあ春を目指します。会えるひと、会いましょう。