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なりふり構って~バレーボールW杯~

「行き先はボールに聞いてくれい」第3球

 バレーボールW杯、日本女子が中国に対し5年ぶりの勝利をあげた日、夜のスポーツニュースで、ロッカールームに引き上げてくる選手達の喜びの表情を見ていた。
 大懸、熊前、板橋、みんな汗まみれで、興奮の為か、むしろ青ざめて見える。チーム一の長身で、ブロックや速攻に活躍した江藤選手は、「いやー泣いちゃいましたー」と顔をくしゃくしゃにしていた。勝ち負けが明確に設定されているスポーツという分野ならではの、このシンプルな瞬間、やっぱいいよなーなどと、ひとり悦に入っていたのだが、ふと見ると、汗で額に張りついた髪をかきあげる江藤選手の指先には、うすいピンクのエナメルがきれいに塗られていた。そう言えば、今大会注目の成長株、若干21歳の鈴木選手は、両耳合わせて4つのピアスが光ってたっけ(余談だが、鈴木のブロードの見事なこと。これで多治見も安心ってわけだ)。
 ああ、いいなあ、と思った。
 なりふリ構わず、という言葉がある。普段の生活の中でもよく使われるが、精神的にも肉体的にもストイックさを要求されるスポーツ選手の場合、どちらかと言えば、なりふり構わなくなってしまう、あるいは、構うことを抑制されてしまうという場合が多いのではないだろうか。
 思えばJリーグが始まって、長髪はもちろん、茶髪、金髪、スキンヘッド、ピアスにミサンガ当たり前という、多分日本のプロスポーツ史上初の、スタジアム・ストリート一体型のスタイルが市民権を獲得し、中田が平然とアルマーニを着こなして、ファッション誌の表紙を飾る御時勢になったとはいえ、シュートが入らねーのは、ガムかんで笑ってたからだと、やっぱり城彰二は責められる。時代は変わったとは言え、日本人の心に根ざした、スポーツ根性論はしぶとい。
 しかし、見よ!あの松阪大輔クンだってプロ入りが決まってまずしたことは、眉毛のお手入れだったではないか。ジャイアンツの高橋由伸だって、髪にあとがつくのを嫌って、ベンチでは帽子をかぶらない。
 いいか悪いかは別にして、もういわゆる、スポーツバカ、の時代ではないんだなと思う。そしてそれは、何もスポーツ界に限った話ではない。情熱を持って打ち込めるものを持つ一方で、個人としての人生を楽しむこと。それは、折りしもこの不景気、それこそなりふり構わず尽くしてきた会社がある日突然潰れたり、リストラされたり、無事リタイアしたとしても呆然とするだけだったり、先立つ世代のそんな姿をさんざん見せつけられてきたあげくの、若い世代の冷静な判断なのかもしれないが、ま、これは余談的一般論。

 アスリートである以上、プロであればなおのこと、それぞれの競技に対して優秀であるということは大切なことで、スポーツに限らず、高みを目指す時、メンタリティの強靭さは必要不可欠なものである。しかし、精神的にストイックであるということが、必ずしも、文字通りのなりふり構わずではないということは、多くの才能によってもはや証明済みである。練習と試合の合間をぬって、遠征先のホテルかもしれない、合宿所の部屋でかもしれない、とにかく江藤直美はマニキュアを塗る時間をひねり出した。チームメイトとおしゃべりしながら、あるいはひとりで、塗り終えた爪をふうふう吹いたり、両手をぱたぱた振ったりしたに違いない。ラッキーカラーがあるのかもしれない。その為に、少し夜更かししたかもしれない、早起きしたかもしれない。そして同じ頃、鈴木洋美は、鏡に向かってピアスを選んでいたのかもしれない。
 ハードな試合の中の彼女たちから、ふとそんな姿を想像できるというのは、なんだか嬉しい。女の子だもんね。
 バレーボールは男子大会が始まっているが、エースの加藤の前髪はどんな激しい試合にも崩れることなく、ブロッカー朝日ケンタローの髪はほどよくくしゃくしゃで、私が今いちばん愛してる竹内キャプテンの、もみあげと前髪のバランスはカンペキである。これまた、汗に強いローションとかムースとか使ってんのかなぁ、と楽しい想像をしてしまう。ま、男子は弱いけどね。
 激しく希求する何かのために、他のすべてを犠牲にするというのも、一つの考え方であり、生き方である。でももしそんな姿に疑問を持ったなら、迷わず、なりふり構わずの心意気で、存分になりふり構ってほしいと思う。なんだかんだ人は遠くから、いつも言いたいことを言うけれど(あれ?)、そんなのはほっとけばいい。要は、もし結果が出なかった時、自分自身の中で、それを言い訳にしない覚悟があるかないかだけである。
 
 かく言う私も、曲作りに煮詰まって、文字通りなりふり構わず、髪をふり乱していた時期があった。何日も家にこもって、ろくに着替えもせず、ピアノとベッドを往復していたある日の深夜、トイレに行った時、洗面所の鏡に映った自分の姿がふと目に入った。ほったらかしで伸び放題の髪、不自然にむくんだ顔、ただのジーンズとセーターを着ていたけれど、そこに映っていた女のあまりのみすぼらしさに、私はガク然とした。ネガティブは、外からやってくるものではない。自分の内から生まれてくるものだと、その時知った。そしてその時の私は、なりふり構わずがんばる、というのではなく、単に自分を見失ってしまっていただけなんだなと思う。
 結果が努力の対価として支払われるならば、こんなに楽なことはない。問題は、延々と赤字続きの努力に対して、それでも誇り高くあるにはどうすればいいのかということだ。
 自分を尊重していない人間は、美しくない。女なら、部屋のすみでほこりをかぶってる1本のエナメルから、答えを見つけられるのかもしれない。
 私の場合、とりあえず何も予定のない日でも、せめて何を着ようか悩むこと、を1日の始まりにすることにしてはいるが(笑)。

 でもやっぱ、あたし年取っただけなのかな。ほっとくとおばさんになっちゃいそうだっていう恐怖感がどっかにあるから、そんなこと思うだけかもしれない。
 そして、ダサいと言われようが、愚かだと言われようが、迷うことなく、気付くことなく、いちずに、ひたすらいちずに何かに打ち込めたなら、その方が幸福かもしれない、と思うのも確かである。

 さてこの気まぐれノーコンエッセイ、別にネタはスポーツ、と決めたわけではないのだが、ラグビー、野球、バレーボールと続いてしまった。次回は、シノハラミヤコ特選ミステリィ紹介でもやろっかね。


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