たかがはたち、されどはたち


1週間ほど前、息子がはたちになったので、お外で肉を焼きました。

たかがはたち、されどはたち、と、吠えるように歌っていた私のはたち。
世界でたったひとりのあたしでありたい、と願いながら。
私の願いは叶ったかどうかわかんないけど、
息子にも願いがあるかな、叶うといいな。

私の酔っ払いっぷりをさんざん見て育ったせいか、飲み会は好きだけどお酒はほどほどのようで。
これはこれで、親の背中を見て育った、ということで。

ちいさい時は、なるべく後ろの方、みたいな子だったけど、
中学校の運動会で応援団長やったり、高校で初心者でハンドボール始めて、弱小チームの部長になってみたり、
いつのまにか、先頭に立って、いい度胸してんな、みたいなヤツになりました。
現在大学2年生。バイトにサークルに山盛りの課題に、大忙し。

10歳のいわゆる二分の一成人式の時、無事10年おめでとうありがとうはもちろんだったけど、
むしろ、人生初めての「覚えてる10年」が始まってめでたいなあと思ったこと覚えてる。

 最初の10年、記憶と呼べるものの始まりは早くても3歳か4歳、本格的に覚えてると言えるのは後半5年がやっとだろう。でも、ここからの10年はたぶんほとんどを覚えていることになる。そして、そこで起こる何かによって、そこで出会う誰かによって、その次の10年がおおまかに、あるいはほぼ完全に形作られることとなる。幾つもの分かれ道と扉。痛みと逡巡と後悔と間違いに満ちた10代。私もそんなふうにして、17歳の時に大きな扉を開き、まっしぐらかまっさかさまかわからないけれど、音楽家として現在に至ってしまった。

「スポーツに恋して」所収「うたかたロケンローラー」より

親が貯めといてくれた振袖代で行った初めての海外、ニューヨーク。
マディソンスクエアガーデンで見たデュランデュランのワールドツアー。
全員一糸も乱れず拳を振り上げたり手拍子したりするコンサート会場しか知らなかったはたちの私。
開演と同時に会場中で光ったカメラのフラッシュ、
座ってる人立ってる人踊ってる人歌ってる人叫んでる人、
まわりがどうでも関係なし、それぞれのかたちで心から楽しんでるアメリカを見た衝撃はいまも忘れ難く。

良し悪し、ではあるんだろうと思う。
でも、だからアメリカがさっさと疫病騒動から抜け出せた感じがとてもよくわかるし、
日本がいつまでも抜け出せないのもよくわかる。
30年以上経って、世界はずいぶん近くなったけどやっぱり遠くて、
でも、あの時のはたちは何も変えられなかったけど、いまのはたちは違うかもしれない。

たかがはたち、されどはたち。
流されずに生きるのが難しいこの国で、「覚えてる10年」がロックンロールとなってきみを支えてくれますように。
親はもちろん、願わくば国も超えて、遠くまで走っていってくれますように。
やさしさぶった「傷つけたくない」は「傷つきたくない」と同じだと見抜く目を。
存分に傷つき傷つけたからこそ差し出せる手を。

かつてのはたちも、まだ負けないぜ。
20歳、おめでとう。元気でありがとう。これからもよろしく。