2000/5/27
渋谷nest

From: 克範さん

 篠原美也子を待っている客席から、彼女の出番が順番で最後だということの期待と覚悟が伝わってきた。ステージが暗くなるとともに膨れあがる拍手の中、篠原美也子が一呼吸をしてピアノに触れた。
 1曲目は「極楽駅から見える月」。いつかのライブで、声が擦れるのではないかと思うほどに息をきらしながら歌った曲だ。この曲を1曲目に決めたことを少し意外に感じながら、その姿を見ていた。体が強張っているのか、思う様にピアノが弾けないのか、時折彼女の表情が悔しそうに見える。この曲からして、そんな表情は不自然に見えなくは無いが、むずがゆい緊張感が私の中に起こったのは事実だ。
歌声が少しづつ大きくなる。そして、いつもの様に彼女の歌声を吸い込んだ。肩の力が抜け、「どうか、自由に楽しんで」と話していたあの頃の彼女の姿がまた頭の中を過ぎった。

 MCを挟むこと無く、2曲目の「S」の伴奏が始まる。先月のライブで発表された曲だった。まだ、私自身に馴染んでいないせいか、思い浮かぶ風景が無いせいか、ただ言葉を辿りながら冷静に彼女を見れた様に思う。客席を見回しながら歌うというよりも、同じ方向を何度か繰り返し確認するかの様に見ていた気がしたのは私の思い違いかもしれない。前回この歌を聴いた時よりも、少し硬く、語る様な歌声が気になったが、時を重ねた
だけに溢れ出た歌声なのだろうと勝手に思った。少し、影が見えるくらいで形に気付くこともある。「S」を歌う彼女の姿を見て、私はそんな事を感じた。

 MCに入り、どうやら1曲目で力み過ぎて鼻水が出たらしく、ライブが続いて着る服もないらしく、そんないつものぼやきで始まった。大好きで得意な競馬の話に客席が食いつき、何度体験しても拍手喝采が起こる状況に「ライブだなぁ」と改めて感じる。そして、さっきまでピクリとも動かなかった客がここぞと彼女に「予想してよ」などと声もかけたりする楽しいひとときだ。時間が短いので「あたしをあまりしゃべらせないで!」と言いつつも、いつもの身振り手振りで話す姿がファンにとってはたまらなくいとおしいのであろう。客席を見回すとにやついた顔ばかりが目についた。スポーツの話になると大人しくなり、彼女の熱い語りにまた客席は優しい眼差しになった。

 そして、「痛み止めは苦手で・・」と話しながら、新曲である3曲目の「アスピリン」を歌い始めた。少し話をしたせいか、気持ちが落ち着いたのか、体を揺らしながら気持ちよさそうに歌う姿が、見ている私にも心地良かった。ピアノを弾く手にも柔らかさが感じられ、感情を込めて擦れる声と目を細める表情が、身振りであり手振りであり言葉のひとつひとつが色濃く届いた。痛み止めを優しさとたとえ、優しさが癖になってしまったらひとりにはなれないと、とても切ないけれど現実として共感のあるものであった。

 2回目のMCに入る。「アスピリン」の歌詞にある「Old friend of mine」について命のやりとりをしてもいいと思える友達だけが残ってゆくと話した。そして、今の17歳の話になると笑いながらも、彼女にとっての出発であっただけに感情的にも思える口調で、「自分で責任をとれないことをすんなよ」などとも言いつつ、「30歳になるなんて思いもしなかった。」などと客席を笑わせたりした。

 4曲目、「LIKE17」。この曲を常に持ち続けている様な気がする。思えば、どの「LIKE17」をとってみても、ひとりで歌っている姿しか記憶に無い。歌手である篠原美也子にとっての、歌手になろうとした彼女にしか見えない景色が込められている大切な足跡なのだろうと思う。

 MC。勢いに頼れなくなったかのように、言葉が詰まるのを必死に隠そうとしていたのか、「言葉が無くて」と言いながら、小さく途切れながらも言わなくちゃ、伝えなくちゃとそんな気持ちが彼女の表情にあらわれた。受け止めようと耳を澄ますほどに、今までに無い緊張感ばかりが届いた。
 「悔しいこととかが急にあって、へこんでいて、みんなに会うから気持ちを盛り上げなきゃなんて思っていたけれど、みんなが見えたらあたしの歌の気持ちや歌たちは勝手に突っ走ってしまいました。みんなとつたないあたしの歌たちに感謝しています。」そして、「また、会いましょう」と。

 5曲目、「ひとり」。私は拍手ができないまま、「ひとり」の伴奏が始まる。力を入れすぎてはいないかと思うほどにピアノの音が会場に響いた。他人事とは思えない「ひとり」のひとつひとつの言葉が募るほどに、きっと多くの人が泣いたであろうと私は思う。私もそのひとりであり、そして彼女もひとりであった。彼女の涙の意味など解からない。けれども、私は泣くことを特別なこととして見たりはしない。歌いたくて自分で選んだ歌を最後まで歌えるのか、その姿に拍手を贈る瞬間を待った。まわりで泣いている気配を感じたが、もらい泣きではなく、歌を聴いて欲しいと勝手に思った。歌えなくなった彼女に代わって客席が歌うと、彼女は抑えるように静かにさせて歌い続けた。「あたたかい沈黙」を思い出すような雰囲気の中で、力強いピアノもいつもと違う歌声も、すべてを「篠原美也子」として受け止めている様に見えた。「ひとり」が終わり、いつもと同じ拍手を贈ることができて、私はとてもうれしかった。

ばれてるなあ、と反省(笑)。これからもキビシク、あたしを見届けてちょーだい。

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From ヨッシーさん

5月27(土)、今にも雨が降りそうな中「渋谷NEST」に向かった。前回、4月22日に1度行っているので、今回は迷わず到着!近くでもライヴがあるらしく、まわりはたくさんの人が集まっていたけど私はすぐにエレベーターに乗り、6階へ・・・

開場時間になると、整理番号順に中に入れる。私は、「28番」。意外と早いと思っていたんだけど、中に入るとすでに後ろしか空いていなくて、それでも後ろから2列目をキープ!よーく見ると、前は男の人達で大きい。。。

今回のライヴも美也子さんは最後。最後だから、残っている人達は、美也子さんファンだったと思う。(でも、ほとんどの人が残っていたと思う。)

すごく大きな拍手の中、美也子さん登場!(中央のキーボードの前に座って、美也子さんが見える位置だったのでホッとした。)

「極楽駅から見える月」
「S」
「アスピリン(ASPIRIN)」(どんな字なんだろ?)
「LIKE 17」
「ひとり」

全部で5曲!1曲目の「極楽駅から見える月」は、かなりの迫力だった。朝からずっと「Vivien」を聴いていたので、この曲から始まったのはすごく嬉しかった。

それに、今回の5曲に「極楽駅から見える月」があることによってすごく美也子さんらしいライヴになってると思う。

「LIKE 17」「ひとり」は、やっぱり泣いてしまう。ライヴで泣いてしまうのは、どーしてなのか自分では言葉にできないけど、やっぱり泣いてしまう。。。

そして、MCは・・・スポーツネタ、17歳のこと、洋服のことなどで、今回は前回よりMCが多かったみたいです。

そして、ライヴが終わって外に出ると、すっかり雨になってました。
次のライヴの6月24日は、梅雨の中だけど晴れるといいなぁ。。。

「Vivien」を聴いてきたのは、カンが良かったね!次回はさて、なんでしょう?

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From 良太さん

 人間はひとりで生きていけるのだろうか。すなわち、それは人間とは強い生き物なのだろうか。考えてみてもなかなか解答の出ない大命題でもあろう。篠原の歌を聞くことによって私自身、多少は強くなったかも知れないが、まだまだ弱さを持った他人の存在が不可欠な脆い人間であると思う。
 今回のライヴの一曲目は「極楽駅から見える月」。永遠に終わらない、満ち欠けを繰り返して。長い人生の中でも人生の方向性への結論が出ないということへの自答とも思える歌だが、この曲が今の篠原の心情を顕しているのだろうか、とも感じる。
 二曲目は「S」。人生を螺旋階段に見立て、変わりたいと願っても変わることのできない葛藤を描いている。そこには最短距離ではないが、距離を稼ぎながらも一歩一歩着実に登っていく、回り道ではあるが信念を持った力強い生き方を感じることができる。そこには決して後ろ向きな気持ちは存在しない。変わろうとする激しさを、変わらずにいる静けさを、きっと同じ痛みの中に懐かしい歌声が教えてくれた。歌という道具を通して癒されるひとりの人間の姿がそこにある。
 三曲目は「アスピリン」。時には言葉で、時には沈黙で。支えてくれる友人への感謝の気持ちが込められている。ひとりでは耐えられない痛みもやはり存在する。その特効薬のひとつが友人である。やはり人間はひとりで生きられないのだろうか。
 四曲目に「LIKE17」。懐かしい17歳の記憶の中にも、実際にその時代を精一杯過ごしているうちには答えが出ることはないのだろうが、人がひとりで生きていくことが難しいことをおぼろげながら理解していたのかも知れない。
 今まで、私は篠原の歌には毅然たる強さが存在していることを信じて疑わなかった。しかし、今回のライヴで五曲目の「ひとり」を聞いたことにより、私は冒頭の疑問に突き当たった。何回となく篠原のライヴを見てきたが、ステージ上で涙を流す篠原を私は初めて見た。観客の助けに対して制止するかのように両手を広げて空気を支配する。よほど感極まる心境だったのだろう、自分の弱さを戒めるようにステージを力強く踏みしめる篠原の足音が会場を包む。すると、大きな足音の余韻を残しながら、何かを振り切るように力強く歌う篠原の姿が私の目に広がった。私にはその歌声は篠原自身へのメッセージのようにも感じた。
 篠原の歌を愛する私にとって、今回のライヴは新鮮な感動を与えてくれた。観客の立場からすれば、私は篠原に対して何も助けることはできない。ステージ上の篠原に対して、私はただひとりの傍観者に過ぎないのだ。ただし、かけがえのない時間を篠原と共有したいがために集ったことは紛れのない事実である。篠原美也子を必要としているから私は彼女を幾らでも待つ。決して美也子さんはひとりではない。ちっぽけな力かもしれないが、私はそう思いたい。

ライブをやるたびに、ひとりだ、という思いと、ひとりじゃないんだ、という思いが交錯します。両方とも、大事な気持ちだね。

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