第73球
「らせん、再び」
デビュー10周年記念でセルフカバーアルバムを作ろう、という話は、2002年の初め、インディペンデンス第2弾アルバム「bird's-eye view」を作っている時からあった。これを作って、来年はセルフカバー。2000年にインディペンデンスにシフトして以降の、歌とピアノだけというスタイルに手応えを感じ始めていた頃である。このスタイルでメジャー時代の曲をセルフカバーするというアイデアは、とてもエキサイティングだったし、のちにブックレットのあとがきにも書いているが、不完全燃焼で終わったメジャー時代になんとか落とし前をつけたいという気持ちもあった。前に進むために、それはとても必要なことだった。そして迎えた2002年春。「bird's-eye view」完成、O-EAST(当時はON AIR EAST)での初のワンマン、そしてその翌日電撃入籍発表、秋にもう一発ワンマンやって、さあ来年は10周年、セルフカバーアルバムにワンマンはO-WEST2days(もう1年後の会場を押さえてあった)、と鼻の穴をふくらませていたところ、ワンマンから1週間ほど経ったある日、全く想定外のことが判明した。妊娠である。
17歳から歌を書いて歌い、デビューして、駄目になって、復帰して、環境は変わってもとにかく歌い続けてきたので、メジャーが終わった時、ああ終わったかなあと思った時期が一瞬あったが、歌をやめる、ということをほとんど考えたことがなかった。もともと目先にとらわれがちな性格も手伝って、妊娠がわかった時も、とりあえず煙草やめなきゃとか(笑)、秋のワンマンは無理だ、と思うくらいが精一杯。ただでさえ初産というのはもう産むことで頭がいっぱいで、産んだあとのことなんてなかなか考えられないものである。予定日は12月。産後の肥立ち、なんて言葉を思い浮かべながら、4ヶ月後ならライブ出来るのかなあとぼんやり考えたような記憶はある。産院の看護士さんに聞いたら、人によりますねえ、みたいな答えだったっけ。こればかりは産んでみないとわからないらしい、と、未体験ゾーンに思いを馳せては戸惑ったり不安になったりしていたある日、スタッフのLIFE野村氏がこんなことを言った。
「あのジョン・レノンでさえ育児休業したくらいだから、子育てというのはどうも相当面白いことらしい。だから、産まれてみて、そっちの方が楽しいと思ったら、休むなり、音楽やめちゃってもいいと思う。ただ、ファンの人たちのためにも、来春の10周年だけは、お願いだから、やって。それが終わったらやめちゃっていいから」
よし、なるようになれ、と思った。今あれこれ考えても仕方ない。その時になって自分が何をどう思うのか、それを楽しみにしよう、と腹を決めた。結果的には元気いっぱいの暴れん坊妊婦で、8ヶ月近くまでライブをやり、出産2週間前までレコーディングを続け、産んだ翌日から体は通常営業に戻り、2ヶ月半で復帰。出産をはさんで制作された歌とピアノだけのセルフカバーアルバムは無事完成し、4月のO-WEST2daysワンマンを乗り切って、2003年、10周年の春は終わった。そして私は歌をやめる気なんかさらさらなく、気付けば次にやりたいことに向かって走り始めていた。
実際のところ、産まれたばかりの赤ん坊を抱えてレコーディングしたりライブの準備をするということは、予想をはるかに超えるハードさで、今思い出しても、あの2003年年明けから春にかけては、体力的にも精神的にも人生最高にしんどかった。O-WESTワンマンの日、たどり着いたという思いと、子供がそばにいない安心感で、リハをやりながら眠くてどうしようもなく、スタッフにユンケル買いに走ってもらったことを鮮烈に覚えている。あちこち無理して、迷惑かけながら、それでも乗り切れたのは、やはり10周年というモチベーションに支えられていたからだと思う。逆に言えば、あのタイミングでなかったら、あんなに大変な思いをしてまで復帰しようと思えたかどうか、正直あまり自信がない。のんびり休んで、コドモもシゴトも無理なくマイペースで、というやり方もあったと思うが、私にはそんなふうに考えられなかった。泣いてばかりいた息子が、私の顔を見て、声を立てて笑うようになった3ヶ月4ヶ月の時期は今だけ、でも10周年の春ももう2度とないのだ。コドモとシゴト、私はどちらも選ばなかった。なぜなら、両方選んだから。そのためのリスクやジレンマに押し潰されずにいられたのは、10周年というタイミング、それでも歌いたかった気持ち、そしてそこに寄せられた人々の強い思いがあったからこそだった、と、今改めて思う。
大騒ぎの2003年春は、当たり前のように歌を歌ってきた私に、ある種の、覚悟、を迫った。私なりに受けて立った。その象徴が「SPIRAL」というアルバムである。オトナの事情でここ2年ほどは事実上の廃盤状態となってしまい、悔しく思っていたが、今回デビュー15周年を迎えるに当たり、新録を加えリニューアルしての再発売という機会を得た。あれから5年。あの日の覚悟、あの日の情熱、歌を歌い続けていきたいと願った強い気持ち。揺るぎはないか? 忘れてはいないか? 恐れてはいないか? 理由も裏付けも自信もないけれど、このアルバムを掲げて、私はまた春を受けて立つ。歌い続けてきた。ささやかな誇りを胸に、2008年春、らせん、再び。