第72球
「永遠を刻む」

 メジャーの終わり頃、事務所で作った私のHP「room493」(ファンクラブと同名で、このサイトの前身)の中に、日記のコンテンツがあった。当時の私はもちろんパソコンなんて持ってるわけないので、普通のノートに日記を書き、1週間にいちどくらいそれをマネージャーに渡して、マネージャーがアップするというやり方だった。ある時、たしか引っ越しの時だったと思うが、荷物の中からそのノートが出てきて、わーなつかしー、と思いながらぱらぱら読んでみて、思わず笑ってしまった。その頃話題になっていた臓器提供カードについて長々と書いていたり、「Still」を作りに初めてナッシュビルに向かう飛行機の中で書いた、ゆれゆれの文字のぶつくさ独り言があったりはするのだが、とにかく基本的には酒飲みに行った話ばっかなのである。確かに酒とバカの日々だったよなあ、と、ほとんど感動すら覚えながらしみじみ思う。身近なマネージャーとは公私ひっくるめてヒマさえあれば飲んでいたし、私が食いしんぼうでのんべだと知っている事務所やレコード会社のエライ人たちは、結構あちこち高級だったり有名だったりするお店に連れてってくれた。いちおうアーティスト特権ってかんじで、ぜいたくしたなーと溜め息つきながら、でも、そこではたと気付いた。西麻布界隈のイタリア料理店、青山近辺の小粋なバー、新宿の豪快な中華、銀座の路地裏の鮨屋、三宿の静かな和食屋、四谷三丁目のオヤジは感じ悪いけどいつも予約で満員だった鍋の店、あれやこれやと店は覚えているのだが、はて、何を食ったのか、さっぱり思い出せないのだ。酒ばっか飲んでたからだというウワサもあるが、なぜだろうと改めて考えてみた。
 デビューした頃の私は、自信に満ちあふれながらも、常に、ここで甘んじてはいけない、もっと上を目指せ、と自分で自分にプレッシャーをかけ続けていた。そういう厳しさやストイックさが、やがて必ず実を結ぶと信じて疑わなかった。状況が悪くなったらなったで、酔いに愚痴が混じり始める自分を疎ましく思いつつ、余計と現状より一段上のイメージにしがみつく気持ちは強くなった。 渋公も有名なミュージシャンも当たり前って顔してろ、なんてことないって余裕かましてろ。いつしか厳しさは横柄さに、ストイックさはただの頑固さになり果てていたのに、それでも身構えて、張りつめて、そんなふうに現実をスルーしていく中で、私はたくさんのおいしいものもスルーしてしまったんだと思う。高級店のあとマネージャーとふたりで飲み直しに立ち寄った行きつけの居酒屋の、付け出しの生キャベツや、冬になるといつも頼んでいた安くてうまい寄せ鍋のことは、ものすごくよおく覚えている。きっとそういう時の私は、ちょっと油断して素の自分になって、切っただけのつめたいトマトや、ちょっと不格好なだし巻き卵を楽しんでいたのだ。
 いやーもったいないことした、と、確かに口に入ったはずのあの店のパスタや、あの店の湯葉の刺身を思い浮かべながら私は身悶えする。ま、あたしが払ったわけじゃないけど(笑)、それなりの金額を使って、今私が覚えているのは、不平不満の味ばかり。現状に満足せず、すこしでも上を目指すのは決して悪いことではない。でも若さもあり、やっとつかんだデビューという気負いもあり、強すぎる上昇志向に足を取られて、あの頃の私は音楽も含めて、与えられたものに感謝したり、楽しんだりする姿勢に極端に欠けていた。あーもったいない。mottainai。
 インディペンデンスとなり、色々なものから解放されて、日々や、そこで起きる出来事にようやく貪欲になれたように思う。もう歌えないかもと思っていたから、また歌えるとわかった時の気持ちは額に入れて取っておきたいくらいだったし、初めての東京百歌の時、ステージ裏の階段の踊り場で出番を待ちながら見つめていた壁の落書きも、久しぶりのバンド録音レコーディングに向かう冬の日、高く澄んでいた表参道の空も、ふっと視線を上げればあざやかに像を結んで浮かび上がってくる。ピアノを筆頭に手先のことはダメな私だが(笑)、中学校の美術の時間、彫刻刀を使う授業が好きだった。木片に鉛筆で下書きをして、丸刀や角刀で思い思いに掘って行く。浅く、深く、まっすぐな線、ゆるやかなカーブ、溝に出来る影。あんなふうに、心に日々を刻み込めたら、と、今、痛切に思う。なぜなら、すべては過ぎ去ってしまうから。どんなに覚えていたいと願っても、いつか、忘れてしまうから。
 今シーズン限りで引退した東京ヤクルトの古田プレイングマネージャーがテレビで話していたが、初ホームランのボールとか、2000本安打を打ったバットとか、そういう記念の品、なくしたり人にあげたりで、一切持っていないそうだ。私は、CD、という「記念品」を作り続けることが商売で、何かにつけて後ろ髪引かれっぱなしなので(笑)、その軽やかさが、とても素敵だなあと思った。彼が年を重ねるにつれいい顔になっていったのは、モノを残す代わりに、見えない一瞬を大事に心に積み重ねてきたからじゃないかなあと、勝手に想像している。すべてはいつか過ぎ去り、消え失せてしまう。でもその瞬間、泣きたくなるような思いで、覚えていたい、と願った気持ちこそが、永遠なのだ。素敵な人は、多分、心にたくさん永遠を持っている。
 時の彫刻刀は、喜びも悲しみも、容赦なく心に刻みつけて行く。覚えていたいことだけを覚えていられるわけじゃない。その刃は時に、傷つけるだけでもある。でも、深い感情が生み出す濃い影を、鋭いエッジを、大事にしたいと、今は思う。「ここではない、どこか」を夢見つつ、私たちはいつも、「ここである、ここ」で生きている。

 10.28。ありふれた秋の、ありふれた夜が、皆さんの心に永遠を刻み込んでくれますように。

LAST UP DATE 2007.10.19