第71球
「つれづれなるままに『桜花繚乱』全曲解説」

 去年「レイディアント」を作り終えて、いよいよ曲のストックがなくなり、「なくなったらまた書きゃあいい」などど高らかにうそぶいてはいたものの、正直今回はしんどいかなーと思っていた。長年私の曲作りの様子を見てきたLIFE野村氏なんかもっとシビアで、「レイディアント」を録ってる時から、来年はアルバム出なくてもEASTはやろうねえ、などと言っていた。別に弱音を吐くわけではなく、単純に1年で10曲、レコーディングするに値した曲を書くというのは、簡単なことではない。量産型の人もいるが、主婦と母と嫁をやりながらの1年というのはとても短い時間である。もちろんあきらめずに挑んではいたが、やはり簡単ではなく、10月のワンマンで最低3曲は新曲をと思っていたものの、「ナイーヴ」「pulse」の2曲が精一杯。これはいよいよ間に合わないかと、ひそかにあきらめムード漂う40歳なり立ての秋。ところがたったひとり、全然あきらめてない人がいた。プロデューサーの中山社長である。
 「1年に1枚くらいきっちり出せないようじゃ終わったヤツだろうが。あと6,7曲さっさと書け、バカ」
 いや社長、とっくに終わってるんですけど、と苦笑しつつ、ありがたいことだと思った。LIFE野村氏には、あのつらーいレコーディングをやらないと年が明けた気がしないから、と言ったらしい。中山社長はこの時すでに、次作のバンドアレンジは全曲ベースの篠田で、と決めており、その布石で「ナイーヴ」と「pulse」のライブアレンジを彼にやらせている。そして、まだかまだか曲は書けたのかと借金取りのように電話をかけてきては、私にプレッシャーを与え続けた。ありがたいことだと思った。かといって突然じゃんじゃん曲が湧いてくるわけではないけれど、最後まであきらめずにやってみようと思った。
 1年は短い、とさっき書いたが、それは曲作りの作業の時間が足りないのではなく、曲を書くために何かを感じる時間が足りない、という意味である。「逆光」みたいな歌を書いたら、もう5年くらい言いたいことなんかねえよ、ってかんじ(笑)。そういう部分に嘘が出るのはイヤなので、今回は目先を変えて、短編集を作るような気持ちで、自分があまり投影されないお話作りが出来たらいいなとなんとなく思っていたのだが、折しも、いじめによる子供の自殺が相次ぎ、思いがけず私の感情は振り切れんばかりに反応していた。内に向かう言葉ではなく、外に向かう言葉でこの怒りを書いてみたいと思った。
 結果的に曲作りはレコーディングぎりぎりまで続けられ、録っていく中でメロディを変えたり、歌入れをしながら歌詞を直したり、音楽に限らず年を追うごとに「間に合わなく」なっていくということが、年を取るということかもなあなどと情けなく思ったりした。やっつけ、と言われれば返す言葉もない。すり減るだけだと叱る声もある。でも、春は待ってくれない。体も気持ちもまだある程度動く。今無理しなかったら、いつするんだ、という心の声に、今年もはかなく賭けた。それに、いちどゆるめたらずるずる行くに決まってる私を、私自身がいちばんよく知ってる、のだ。

01.rainbird
 06年4月、初めてバンド編成で臨んだ春のO-EASTワンマンを終え、舞い上がる気持ちとそれを恐れる気持ちに揺れながら「同じように」というタイトルで書いた。歌詞が個人的でネガティヴだったこともあり、お蔵入りしかけたが、メロディの良さを買われてエントリー。その頃行き当たったrainbird(雨告げ鳥。ネイティヴ・アメリカンの言い伝えで、その鳥が現れると雨の前兆とされる)のイメージを盛り込んで歌詞を直し、メロディを整理して完成させた。
 ギターの柴ちゃんこと柴崎浩さん(元WANDS、現在TMR西川貴教さんのバンドプロジェクト"abingdon boys school"で活躍中)、のっけから炸裂。今回初参戦で、2日で7曲という恐怖のゾンビリズム録りにさぞかしびっくりしたと思うが(もう慣れちゃってる他のメンバーが平気な顔してやってるのにもびっくりしたと思うが)、素晴らしいテイクの数々、ほんとうに感謝。ちなみに、私の曲に正統派のギターソロが入ったのは、97年のアルバム「Vivien」以来である。

02.pulse
 06年10月の30代最後のワンマン、タイトルを「pulse」と付け、では「pulse」という新曲を書こう、といつものパターンで始めてみたのだが、これが予想外に難航した。アップテンポではじけたヤツ、というイメージで何とか書き上げアレンジに回し、本番1週間前リハに入ったら、篠ちゃんがいかれたリフでかっちょよく仕上げてくれてご機嫌、と思いきや、「この歌詞全然駄目」という中山社長の鶴の一声(アンド後ろで大きく頷くLIFE野村氏の渋い顔)、「ついでにメロディも直せ」ととどめのひと言で書き直し決定。確かにアレンジに負けちゃってるよなーこの曲、と私自身も思ったので、演奏だけ録音したリハのテープを聴きながら曲を書くという初めての体験。うんうんうなって何とかメロディだけ乗せたが歌詞が間に合わず、結局本番直前メイクしてもらいながら最後の一行を書き終えた次第。今更言い訳するが、あの日いろんな曲の歌詞が吹っ飛びまくったのは、とにかく「pulse」のことで頭がいっぱいだったせいでして、ハイ。当然覚えるどころの騒ぎではなく、超拡大コピーしたのを足元に貼ってもらったが(2階席からは丸見えだったらしい)、当然玉砕。くそー、レコーディングまでにはちゃんと完成させるぜ、と誓ったもののまたまた難航。自分でも忘れちゃったくらい歌詞もメロディも書き直して書き直して、その間に篠ちゃんも、ガキみたいでやだー、とアレンジを直したりして、最終的にボツになった別の曲の歌詞をごっそり移植したりしながらようやく完成。比較的落ち着いたテンポで収まったが、あたしの脈は相当速かったと思う(笑)。
 連日子供の自殺が報じられた06年秋の歯がゆさを思い出しながら、臆面もなく、生きろ、という歌が書きたかった。そして、気付いた方もいるかもしれないが、デビュー曲「ひとり」の主人公のその後、みたいなニュアンスもちょびっと入っている。

03.bouquet toss
 出だしとサビの歌詞がわりと前から頭にあり、いつか形にしたいなあと思っていた。学校嫌いで、会いたい友だちもいないから、同窓会とかほとんど出たことがない。アマチュアでライブハウスに出ていた若い頃は特に、今何やってんの、と聞かれるのが面倒で、そういう機会は極力避けて通ってきた。そんな張りつめた感じを思い出しつつ、「心のゆくえ」の主人公はその後どうしてるかなあなどと思いつつ。弾き語りの時はもうちょっと切羽詰まった歌だったが、バンドバージョンは明るめのゆったりしたアレンジで、ほんのりせつない感が気に入っている。
 初めてライブで歌った時は、「ブーケトス」というタイトル。CDにするにあたって表記を英語にするかカタカナにするか、最後まで迷ったが、現場アンケートで、カタカナだとピンと来ない、という意見が多かったので英語の正式表記にした。

04.灯をともそう
 プロユースの高級ピアノと言えば、スタンウェイというのが一般的だが、今回使ったスタジオには知る人ぞ知る玄人好みのベーゼンドルファーがあって、うおー河内くんがべーゼン弾くのかー、と楽しみにしていた(ちなみに杉山卓夫さんもこのピアノが好きで、「bird's-eye view」と「SPIRAL」の卓夫さんのピアノはべーゼン。しかも96鍵のインペリアル)。弾き倒し屋のリストやオスカー・ピーターソンが愛用し、至福のピアニッシモ、と呼ばれる弱音時の繊細さや、独特の深い響きで知られるこのピアノ、表現力が豊かな故に、弾き慣れないと弾きづらいことこの上ないらしい(考えたらあたし触ったことない。恐れ多くて(笑)。今度機会があったら記念に弾いてみよう)。初べーゼンの河内くん、今回3曲、半日以上弾き続けて、終わり頃に、やっとこのピアノのことがわかりましたー、とのこと。いやーピアノもすごいけど、ほっとくといつまででも弾いてる河内くんもすごいなーと、毎回感心する(爪の垢を煎じて飲むべきだ、あたし)。
 卓夫さんの場合、可能な限りコードを付け替えて、あの独特のモダンな響きを出すのが特徴だったが、河内くんはあたしが弾いたコードをほとんど変えず、ボイシング(=voicing 和音構成。どういう順番で音を積んで和音を作るか、ということ)の妙だけで持ってっちゃう場合が多い。コードネームにすると同じなのに、なんでこんなに違うんだろう!?と毎回感心する(だから爪の垢を煎じて飲めって、あたし)。
 河内くんに歌わされてしまって、仮歌一発OK。書いたのは、これも、子供がらみの滅入る事件が続いた06年秋。見えづらい希望を照らしたかった。100円ライターしか持っていなくても。

05.ナイーヴ
 ある時電車に乗っていて、ドアの上に貼られた路線図を何となく眺めていた。うんと小さい時、埼玉県の志木というところに何年か住んでいた以外、私は40年の人生ほとんどを東京で過ごしてきたので、ベイエリアに向かうその地下鉄の駅名も、当たり前のように耳に馴染んでいるものばかりだったのだが、ふと、 降りたことのない駅がなんてたくさんあるんだろう 、と思ってびっくりした。東京は、地上も地下も編み目のように電車が走り、場所によってはひと駅の間が1,2分というところも少なくない、駅だらけの都市である。私が出不精だからということもあるのだろうが、名前は知っていても、降りたことのない、数多くの駅。なぜかわからないが、その瞬間、多分ひとはほとんどの場所に行けないんだと、いつか行きたいと思いながら決して行くことはないんだと、悲鳴のように思った。それはとても純粋な絶望だった。でもだからこそ、たどり着いた幾つかの場所、出会うことの出来たひと握りのひとたちは、たどり着くべき場所、出会うべきひとたちだったんだと、心から思えた。それはとても静かな勇気となった。

06.一瞬でいい
 何を隠そう靴フェチである。靴、大好き。昔、フィリピンの元大統領夫人で、悪名高いイメルダ・マルコス夫人が革命でマラカニヤン宮殿を追われたあと、宮殿には靴が3000足残されていたとニュースで聞いて、うらやましくて死にそうになった記憶がある。最近では、コンサートで台湾に行った浜崎あゆみさんがグッチだかミュウミュウだかで30足お買い上げのニュースに同じく悶絶した。もともとドレッシーな服装が得意なわけではなく、子供を持ってからは特に、動きやすくて汚れても悔いなしの雑な服ばかり着ているのに、相変わらずセルジオ・ロッシやジミー・チュウの華奢でエレガントな靴に憧れ続けている。「憧れる」と「思い知る」は同義語だ。わかっちゃいるけど、ガラスの靴コンプレックスからは逃れられそうにない。年は食っても、女子ですから(笑)。

07.笑顔
 今回唯一のストック。デビューする前に書いていたふるーいバラード。3連のリズムなのでアルバムのアクセントになるかなと思い、引っ張り出してみた。またもや河内くんに歌わされてしまった、というかんじで、仮歌一発OK。

08.永遠を見ていた
 07年1月下旬、今年もよろしくってわけでアルバム用選曲ミーティング。とりあえずひと山提出したが、もうひと声、ということで引き続き書き続け、どうだ、とひとつ書き上げ、ついでに春だからコブクロ的(笑)ちょっとせつない卒業ソングでも書くか、と書いたら、結構重たくなっちゃって、やっぱあたしって駄目よねえ、でもサビのメロいいしマイナーの曲貴重だから提出しとこ、という、実はものすごいどさくさまぎれ的に出来た曲(ちなみに、一緒に書いたあたしがメインだと思った方の曲はあっさりボツになった)。アレンジ後のあまりの変身ぶりに、デモバージョンをCDにして予約特典のおまけにしてしまった(笑)。あのデモテープ聴いてあんなふうにするって、アレンジャーってホント偉い(笑)。自分でも気付かなかった曲のポテンシャルを、アレンジが見つけてくれることがある。こういう殊勲の一打があるので、バンドでやるのは楽しい。レコーディングしたあと、改めて弾き語りで歌ってみて、ああそうか、と思った。逆輸入ってかんじ。
 またきっと会おうと誓い合いながら、もう多分会うことはないと心のどこかでわかっている。でも、また会いたい、と思った気持ちに嘘はない。「LIKE 17」でも書いたテーマだが、それが永遠なのだと、私は思っている。失ってもいい、と思えたのは、新しく得られるはずだ、という無邪気な確信があったからだ。未来が見えなかった卒業の春は、もはやはるか遠いけれど、桜は今年も、一瞬の満開に賭ける。それを希望と呼びたいと、心から思う。春が好きで、春の歌を幾つも書いてきたが、のちにアルバムタイトルにもつながることになる、花びらが舞い狂うような風景の歌になって、とてもうれしい。
 余談だが、「種と果実」の「Time will tell」、「us」の「Journey」、「レイディアント」の「逆光」、そして「桜花繚乱」の「永遠を見ていた」、アルバムの核となる曲はなぜか全部8曲目。たまたまですよ、もちろん。

09.countless
 子供の自殺報道の中で、無記名アンケート、という言葉をよく耳にした。事件解決のための目撃情報を全校生徒から集めるアンケートが、無記名? 人の生き死にに関わる事態で自分の意見に名前書けないってどういうこっちゃあああっ、と私はひとり憤慨していた。そこに透けて見えたのは、やった方やられた方双方を、死、というレベルまで追いつめた、社会全体につながる、巨大な傍観者の群れ。所詮自分もその巨大な群れの一員に過ぎないという悔しさに歯を食いしばりながら、せめて私に出来ることは、この怒りを歌うことだと思った。見て見ぬふりをせず、歌うことだと。ニンゲンとケモノを隔てる唯一のボーダーラインは、想像力。ケモノに想像力はない。あるのは、日々を生き抜く本能だけ。他人の痛みを自分に置き換えられて、初めて、ニンゲン。そして、自分の大事な誰かがされたらどんな気持ち?と思えるようになったらオトナ、と私は思う。
 アレンジは、もうどっからでもなんでも言って下さいってかんじでU2へのオマージュ。昔はこういうことはやっぱり照れたり気が引けたり突っ込まれるのを恐れたりしたけど、絢爛豪華に図々しい今となってはもう行け行けドンドン(笑)。むしろ徹底的にやった。スタジオにU2のライブDVDを持ってって、ELEVATIONツアーの「WHERE THE STREET HAVE NO NAME」をラージスピーカーの爆音で観戦、あたしもメンバーもうおーと気合い入りまくりでそれぞれのブースに散り、RECスタート。ドラムが真っ先にOK。時刻は深夜3時過ぎ。田中一光41歳、お見事でした。オケはU2に勝ってんじゃねーかー、と、こういうのは思い入れ思い込み一発なんです、すいません。で、もちろん歌は玉砕です、ボノさま(笑)。

10.春色
 今回のアルバム作りで、初めて、母であることと歌い手であることが違和感なく並び立ったように思っている。歌う母、であり、母は歌う、のだということが、自然に受け止められた。春が来たよと、大事な誰かにこれからもずっと伝え続けたいと思うこと、その未来を守りたいと思うこと。愛は、短い言葉をつなぐ、長い道のり。この歌は、息子のために書いた。

 改めて、バンド部門サウンドプロデュース、篠田達也。背骨に沿うような音楽を、ありがとう。ピアノ部門サウンドプロデュース、河内肇。きりりと冷えた吟醸酒の味わい、背筋の伸びるピアノを、ありがとう。
 そして、プロデューサー・ urglizs 中山社長、 A&R ・ LIFE 野村氏、アートディレクター・ sumograph 堀江氏。ここ数年の私のアルバムは、この3本柱で成り立っている。この3人に共通するのは、誰ひとり私にやさしくない、ということだ。手を抜いたり、テキトーなことをすると、容赦なく三者三様の罵声が飛んでくる。今回アルバムタイトルにぐずぐず悩んで、なんとなく体裁だけの候補を出したらあっさり見抜かれて、「そんないい加減なアルバムなら、出すなああっ」と堀江氏に大喝された。打たれ弱い私は、ともすれば甘やかす言葉に浸りたくなってしまうのだが、年にいちどのレコーディング、そしてライブ、シノハラミヤコを怠けちゃいけねえなと、叱られるたびにふんどしを締め直す。世の中に優秀なスタッフやミュージシャンはたくさんいて、別の人とやれば、もしかしたらより良い結果が出るのかもしれない。でも、音楽作りは、正解を出すための旅ではないので、キャリアの晩年に得た信頼関係に感謝しつつ、このやさしくない3本柱が健在である限り、全うしたいと今は思っている。たまにほめられるとうれしいので、頑張ります(笑)。
 来春はデビュー15周年。曲作りにあたって、中山社長のアドバイスは、「自分の曲を聴き直して、またこういうの書きたいっていうビートやメロディを、今の気持ちで書いてみ」だった。新しいものを受け入れるのが下手な私なりに、新しいエッセンスもどんどん取り入れたいと思っている。でも、いかんせん、それをじっくり実にするには時間が足りないかもしれない。良くも悪くも、質の良い自己模倣は大事になってくるだろうと思う。ともあれ、来年もこうして、言い訳三昧のアルバム解説が出来ることを、心から祈りつつ(笑)。

LAST UP DATE 2007.6.11