第64球
「つれづれなるままに『レイディアント』全曲解説」

 去年の秋、7年ぶりにバンドでライブをやった。あんまり楽しかったので、春のワンマンもバンドでやりたいと言うと、私のよろず世話人兼御意見番のLIFE野村氏は、例によってにこやかに且つ冷ややかに、ちゃんとアルバムが出来たらね、と言った。このセリフは、ちゃんと新曲書けたらね、と読み替えても正解である。2005年秋の時点でニューアルバムの候補曲は、前年に書いていたがラブソングでないため「us」の候補から外れた「願わくば」と、バンドワンマンのために書き下ろした「Stand and Fight」の2曲だけ。う、う、わ、わかったっ、と大きくうなずいたものの、ずるずると時は過ぎ、あっという間に2005年も残りわずか。エントリーは相変わらず上記2曲のみ。暮れも押し詰まったある晩、LIFE野村氏はわざわざ我が家を訪れ、紙に1から10まで番号を書き、1.Stand and Fight、2.願わくば、だけ記入して、更ににこやかに且つさらに冷ややかに、新曲書かないとアルバム出来ないよ、と言い置いて帰って行った。10月に引っ越してバタバタでとか、龍ちゃん保育園浪人で家にいることになっちゃって落ち着かなくてとか、言い訳大王で秋を過ごした私もさすがに尻に火がつき、かと言って年末年始の主婦にがっつりピアノに向かう時間などあるわけもなく、結局は年が明けてから地獄を見ることになるのだが、2月の頭、掘り出し物書き下ろし含め最終的に候補は16曲までふくれあがり、LIFE野村氏曰く、火事場の馬鹿力、というわけで今年も乗り越えてしまった。だから駄目なのよねえ、懲りないのよねえ(笑)。
 インディペンデンスとなってからの作品は、セルフカバーがいい例だが、もういちど闘いたい、と思いつつも、どこか身辺整理のような気持ちがあったと思う。『種と果実』は文字通りこれが出来たらやめてもいいと思えるものを、と考えながら作っていたし、シノハラ的ラブソングの集大成『us』にも、まとめ、という趣きがある。そのときどきの書き下ろしが核にはなっていたけれど、子供を持って以来曲作りに割ける時間が極端に減って、物理的に大量生産は無理な状況になったし(もともとたくさん書けるタチでもなかったし)、とにかく出来うる限り古い歌でも何でも掻き集めてぶちまけ倒して、からっぽになって終われるなら終わりたい、と思っていた。それが今回、さてアルバムどうしようということになって、はたと気付いた。私にはもうぶちまけるものがほとんど残っていなかったのである。2000年以降、オリジナル4枚、セルフカバー3枚。リリースしたタイトル数は、いつの間にかメジャー時代の6枚を越えていた。めぼしい未発表曲はほとんど底を尽き、残ったのは、今も刻々と流れ続けるリアルタイムだけ。ほんとうはこんなことをしたかった、こんな歌も書いていた、と恨みがましく過去を清算する時期は終わったのだと、感慨深いような、恐ろしいような気持ちで思った。
 そんなわけで『レイディアント』は、久しぶりにストックを当てにせず「フツーに」作ったアルバムである。アルバムを作り、ライブをやり、しぼんだ風船みたいにぺちゃんこになって、そこにまたゆっくりと息を吹き込む日々を過ごし、締め切りですよーの声にせき立てられながら、体中の息をふりしぼって歌を膨らます。メジャーの頃も、アマチュア時代のストックが尽きた3枚目以降は、ずっとそうやってアルバムを作って来たのだ。本格的に一周したらしい。そう思ったら、ちょっと笑えた。からっぽになって終わりたいなんて、所詮きれいごと。なくなったら、また書きゃいいんだ、などと、いけしゃあしゃあとうそぶいている私は、ほんとうに懲りない人である。ひとりよがりのロックンロール、まだまだ、気は済んでいない。でも、次(もしあるとすればだが)のことを考えると、ぞっとするんですけどね(笑)。

01. limit
 ここ数年の曲は、基本的にまず弾き語りでライブで歌ったもの、ライブで歌っていなくても弾き語りで歌うことを前提としたものだったが、今回はバンドでライブをやるということを意識して、弾き語りで出来る出来ないにこだわらず何か書いてみようと思った。マイナーの曲は長年筆頭不得意分野で、しかもアップテンポとなるともはやお手上げ(ただでさえ弾き語りでアップテンポのものは書きづらいし)。でも、ライブのことを考えても、アルバムとしてのバランスを考えても、ここは何としてもマイナーのアップテンポが欲しい、ということでやっとこさひねり出した曲。書いていた時期がホリエモン逮捕と重なって、テレビとピアノを往復しながらつらつらと書いた。
 ホリエモンの逮捕にあれほど世間が揺れたのは、ひとえに、羨望、であると思っている。何もかも手にしたということよりも、何もかもなくした、ということに対しての。別の言い方をすれば、その、落差、のようなもののあまりのまばゆさに、平坦ではないにせよ最小限の振り幅の中、身の丈で生きざるを得ない多くの人々は激しく反応したのではないだろうか。逮捕に伴い伝えられた数々のエピソードの中に、全盛を極めていた頃のホリエモンが、色紙にひと言、と乞われて、諸行無常、と書いたという話があった。すっきり痩せて若返って拘置所から出て来た彼をテレビで見ながら、もしかしてこの人は全部わかっててやってるんじゃないかなあと思ったりした。手に入れることとなくすことはよく似ている。どちらもある意味勝利であることを、このしたたかな元ヒーローは知っているのかもしれない。
 アレンジリハの時から、もうこれ1曲目しかないでしょってかんじで、レコーディングもこの曲からスタートした。歌も仮歌の何テイク目かで、切り貼りなしの一発OK。こういうのはやっぱ、イキオイなんです。

02. Stand and Fight
 初めてこの言葉に出会ったのは、確か23か24の時。沢木耕太郎さんの「一瞬の夏」だったか「王の闇」だったか。踏み止まって闘うーーボクシングの哲学とされる言葉。ボクシングというスポーツ同様、シンプルな力強さが心に深く残り、折に触れて好きな言葉と言い続けて来たが、そのイメージを歌に生かす機会はなかなか訪れなかった。
 去年の夏頃、924バンドワンマンが決まって、ライブのタイトルを、と考えていた時、LIFE野村氏がふと、Stand and Fightは?と言い出した。おおそれだ、それっきゃないと盛り上がり、ついでにタイトルチューンとして「Stand and Fight」という歌を書こうということになり、ちょうどボクシングを習っていたこともあって、鏡の中のいまいち決まらない自分のファイティングポーズなど思い浮かべながら書いた。Stand and Fightというフレーズは、メロディに乗せるには少々軽すぎる気がしたので、日本語で行こうということだけ頭にあった。時間がなくてうわーっと書いたわりにはよく出来ていると思う。やっぱ曲作りってモチベーションなのよねえ(笑)。924のライブアレンジが、ほぼそのままCDになった。あの日の熱が『レイディアント』を作る原動力となったのだなあと、今改めて思う。
 弾き語りを含め歌い慣れていたが、そのせいで逆にバンドと一緒に気持ち良〜く歌った仮歌は荒っぽくなってしまい、プロデューサーの中山社長に「ライブではやってても、CDではお披露目だってこと忘れるな」と釘を刺され、後日落ち着いて歌い直した。距離感が、大事。

03. 願わくば
 2004年夏、じっとりと蒸し暑い夜更けにレンジフードの下でぼんやり煙草を吸っていて、気が付くと短くなっているのを見て、ふっと書き始めた曲。
 槇原敬之さんが書いてSMAPが歌った「世界で一つだけの花」(2003年)という歌がどうにも苦手である。こういうテーマを口当たりの良さだけで書かれるとホント困るんだよね(だから売れるのか)、とまあ悪態はさておき、死ぬ気でナンバーワンを目指した人だけが、オンリーワンの称号を手に入れられる、と私は思う。「願わくば」を書く頃、息子が公園の一番低い鉄棒に手が届きかけていて、一生懸命背伸びをして棒をつかもうとする姿にひどく胸を打たれたことがある。身の丈よりほんのすこし上を目指すこと。その難しさ、その美しさ。届きたいと、必死で願ったこと。いつか見えないものに手を伸ばすようになった時、ほとんどは届かないのだと知った時、記憶の最下層で覚えていて欲しいと願いながら、おーい、思い出せー、と自分の記憶にも呼びかけた。
 実はこのアレンジ、ギターが全く入っていないのだが、気合いのオルガンと骨の太いリズム隊のおかげで、ものすごいロックな味わいになった。私よりひとつ上で同世代のドラマー田中一光サン(93年のファーストツアー、「満月の海」にも参加してくれている)が、422の打ち上げの時、どの歌もとても歌詞に共感すると言ってくれ、ああこの歌詞にはこのフィルでいいんだ、と思いながら改めてアルバムを聴いた、と言ってくれたことを思い出す。

04. 感情
 何か起きて、何かを見て、聞いて、悲しみや喜びに揺れながら、あ、知ってる、と思うようになったのはいつ頃からだろう。例えば結婚して、夫婦という長ーいスパンを前提とした間柄で暮らしていると、夫婦喧嘩をしながらふと考える。もうしばらくカッカしながらもめて、なんとかかんとか仲直りして、でもまた絶対ケンカするんだよな。これをむなしいなし崩しと思うかおもろいくり返しと思うかは、その時の状況やそれぞれの人生観にもよるが、いずれにせよ、最後ではないのだと思うことは、ポジティヴでもあるし、ネガティヴでもある。私は今年40になる。MCでもさんざん言っているが、あと30年生きられるとして、サッカーW杯をあと7回しか見られないのだ。泣いたもん勝ち、感動したもん勝ち。感情だって使い込んだ方が絶対いい味が出る、と私は思う。河内くんの優雅なピアノに乗せられて、仮歌一発OK。

05. 彼女
 実は1997年秋、ナッシュビルでマキシシングルを録ることになった時いくつか書いた曲の中のひとつ。「Life is a Traffic Jam」「淋しいのは」が採用になって、そのまま忘れてほっといたのだが、去年の秋、百歌の時だったか、新曲ないしなあと思ってあれこれ掘り起こしていて発見。なんとなく歌ってみて、ちょっと感じ違うし、アルバム的にはこういうのあってもいいかなと思って選んだ。レコーディングに入る前のアレンジリハーサルで、サウンドデザインに合わせてAメロBメロのメロディをリニューアルし、ぷぷ、U2っぽい?とかはしゃぎながらレコーディングした(笑)。歌詞的には、アメリカ行きが決まって戸惑ったり迷ったりしている当時の気分そのまんまだなあとちょっとせつなかったり。

06. エール
 これは、正真正銘、いつ書いたか忘れました(笑)。「Vivien」の前か、後か、それくらいだと思うんだけど。去年の秋の引っ越しの時、プリントアウトしてあるのやら手書きのやら、山盛りの歌詞を整理していて、手書きをコピーした状態のを何曲か見つけて、もう歌詞を見ても思い出せないのとかもあったのだが、これは歌ってみたらなんとか歌えて、アップテンポにしたらもしかしたら使えるかな、くらいの気持ちで候補に入れた(結局は、まったりテンポになったが)。多分、熱闘甲子園バーチャルタイアップしかしラブソングってとこがミソ、みたいな気分で書いたんだと思う(笑)。打ち込みを使い、トラックダウンで結構雰囲気を作ったので、ライブでは再現しづらいという判断で、422では『レイディアント』からこの曲だけ選曲しなかった。

07. 星に願いを
 バラードは他にいくつかあったのだが、実はこういう端正な曲調が好きなのが中山社長のオモシロイとこで(笑)。去年の春、息子が保育園に行き始め、一緒にいる時間が少なくなった分、一緒にいる時はやさしくしてあげようと思うのに、逆にケンカばっかりしてしまうことにへこみ、なんかこの気持ちは恋に似てるなあと苦笑しながら書いた。
 河内くんのピアノは完成度が高くて歌に合わせに来ないので、下手すると負けるぞってかんじでいつもものすごく緊張する。でも抑揚が完璧で自然と気持ちを迎え入れてくれるので、ものすごくいい気分で歌える。そのせいか「half moon」の時、河内曲は仮歌一発OKが多かった。この曲もとにかくびゅーてぃほーで、うっとりしながら歌ったが、中山社長の「ヘタクソ」のひと言で撃沈。後日歌い直したがやっぱりちょっとヘタ(笑)。こういう、上手く歌わないといけない歌、は、コンディション整えてじっくり歌入れしたいなあ、なんてね。

08. 逆光
 意外かもしれないが、先にメロディと構成がほぼ完璧な形で出来上がってしまい、歌詞をはめるのに苦労した。さあ太陽よ背中から照らせ、というフレーズは、大昔に観た何かの芝居のセリフで、その他のことは全部忘れたが、なぜかこのセリフだけ強烈に残っており、締め切り前夜、もうすぐ明るくなるぞという頃に突然思い出し、別の曲のモティーフに考えていた、簡単じゃないことくらいわかっていたはずだ、と合体してようやくまとまった。なぜそんな時に古い芝居のセリフを思い出すのか、なぜ別の曲用のモティーフがぴたりとはまるのか、それはもう曲作りってそういうもんだから、と言うしかない。背中から照らす太陽、陰になって見えない表情、長く伸びる影。それはとにかくエキサイティングなイメージだった。サビの歌詞が決まって、「逆光」というタイトルもすぐさま浮かんで、そこから、光、という言葉を追いかけて行って、radiant、という言葉にたどり着き、ついでに帯のコピー、追いかけるのではなく背負って行け、というのも思いついてしまった。曲を書いていると、たまにこういう奇跡的芋づる状態に出くわすことがある。「Journey」を書いた時もそうだった。どちらの曲にも共通する概念は、覚悟、である。
 こんな歌、明け方に大声で歌ったら通報される、と、夜が明けてから改めて録音したが、いい気分で歌い終わってみたら8分半もあった。イントロも何もない状態で、である。こ、これはさすがに長過ぎる、と思ったが、削る場所は思いつかず、とりあえずテンポを上げ気味に歌ってやっと7分ちょい。まいっかとMDを提出すると、中山社長から早速電話がかかってきた。「何でもいいけどこの7分もある曲どうすんだおい」「いやそこをなんとか」「半分に切って2曲にしろ」「いやいやそれはちょっと」「1番だけにして2番は次のアルバムに入れろ」「いやいやいやそこをひとつ」結局ちゃんとイントロも付いて6分28秒だから、アレンジしてくれた篠ちゃんありがとうである。こういうフィジカル的にしんどい歌は仮歌一発は無理なので後日歌い直し。1番のAメロBメロ、2番のAメロBメロを録り、次に各サビ、最後に大サビと、休みながらブロックごとに、必要なら一行ずつ直しながら録って行く。パワーのあるサビを録るためだ(これは中山社長方式で、ちなみに『種と果実』の「秒針のビート」や、『us』の「白い月」もこのやり方で録った)。気持ちのつながりがどうのとか考えない。そんなこと言ってたら映画は作れない(笑)。良いカットをきちんとつなげば、良いストーリーになる。

09. another moon
 時期にもよるが、我が家のテラスからは月がよく見える。夜、テラスで煙草を吸いながら、首をがくんと後ろに倒して色んな月を楽しんでいる。今年1月のある晩、やはりそのようにして月を眺めていた時、同じ月を見ている、というフレーズとメロディが不意に浮かんだ。でもどっかで聞いたことがあるような気がして、インターネットで検索してみると、同タイトルの映画があった。ありゃ、と思いつつ、まあいっかとそのまま書いた。その映画は観ていないので、共通することがあるかどうかはわからない。レコーディングの時、ピアノを弾いてくれた宮崎くんが、同じ月を見てるのに、なんでアナザーなんですか?と聞いてきた。なんでだろうねえ、と私。答えはそれぞれが見つけて下さい(笑)。
  レコーディングの時、準備が出来て1回か2回は、ヘッドフォンのバランスを調整したり、テンポを決めたりするためにとりあえず演奏してみて、その上であれこれ変更したりまた元に戻したりしつつ、では本番、となる(特にテンポは曲調を左右する重要事項なので、納得いくまで微調整する)。この曲も、宮崎くんとふたりで、じゃあ一回やってみよ、とかるーく合わせてみた。何気なく歌ったこのテイク1が結構良かったのだが、テンポをちょっと変えてもういちど、とやってみて、あ、駄目だ、と思った。2回目はもう「上手くなっちゃってて」駄目だったのだ。中山社長言うところの、初々しくねえんだよ、というヤツである。こういう素朴な歌は上手く歌っても面白くも何ともなくて、要所要所で技術はいるけれど、あまり馴染んでいない感じでちょっと下手っぴな方がいい味を出す。こなれてしまうとつまらないので、なるべく回数を歌わないというのが基本。曲解説から話はそれるが、本当に歌の上手い人、というのは、音程が安定しているのはもちろんだが、同じテイストで何度でも歌える人のことを言う。多分、森山良子さんや玉置浩二さんは10本でも20本でも寸分違わぬテイクを録る。それでも本人たちにとっては選択の余地があり、それはイチローのバッティングと一緒で、バットの握りの位置がほんの数ミリ違うとか、ヘッドの角度がわずかに上とか下とか、要はもはや凡人には何が違うのか全然わかんない世界なのだ。本当の一流とはそういう人たちのことを言う。由紀さおりさんもそう、山下達郎さんも多分そうだ。そういう意味において私は三流もいいとこなので、「another moon」の場合、テイク1のいい感じを次もと狙ったものの、見事に、二度と同じように歌えませーん、と早々に白旗で、めでたく?テイクワンOK。歌ってムズカシイ。でも長々と書いといてあれですけど、いいテイクが録れたから何でもいいんですけどね(笑)。

10. afterglow
 1月下旬、8割がた曲がそろって、urglitzにミーティングに行った帰り道、あとはマイナーのアップテンポを書かなきゃとかあれこれLIFE野村氏と話しながら電車に乗ったのだが、その時に「ものすごくプライベートな歌を書いてみれば?」と提案があった。浜田省吾さん(LIFE野村氏は筋金入りの浜省ファン)に「初恋」という歌があって、オレの初恋の相手はロックンロール、というような自伝的な歌らしく、なんかそういうの書いて欲しいとのこと。つり革につかまってふんふんと話を聞きながら、頭の中に、トンネル、という言葉が浮かび、見覚えのない光、というオチまで、一気にストーリーが湧いて来た。地下鉄だったせいかしら(笑)。トンネルを抜けたら、という出だしのメロディも一緒にくっついて来た。「逆光」同様、思いがけない芋づる状態。きっかけを与えてくれたLIFE野村氏に感謝である。トンネルの彼方の見覚えのない光を、いつまで見て見ぬふり出来るか。私の図々しさにかかっている、かな(笑)。
 せつない中身にも関わらず、きらきらと光がはじけるような仕上がりとなった。こういう曲をアルバムのクロージングに持って来たのは初めてかもしれない。「トンネル(仮)」のままタイトルだけずっと決まらず、トラックダウンの日に、スタジオで上がりを待ちながら延々とインターネットの辞書を引きまくり、やっとたどり着いたafterglow。残光、または余韻というような意味である。

 私がプロデューサーの中山社長に全幅の信頼を置いているのは、音楽的な懐の深さはもちろん、実はボーカルディレクションが職人的にうまいからだ。歌をきちんとディレクション出来るからこそ、社長はサウンドプロデューサーではなく、プロデューサーなのである。曲解説の中で私が偉そうに書いている歌に関するツボやコツは、すべて中山社長に罵倒されながら(笑)覚えてきたことだ。でもそのおかげで、私は「歌うこと」がますます好きになった。
 過酷な環境の中で力を尽くしてくれたミュージシャンとスタッフに、改めて心底感謝したい。そしてこのアルバムを手にしてくれた、私の光でいてくれる人たちに力いっぱい感謝したい。
 ライブ映えする曲が多いねえ、と、422のライブが終わって、ウチのダンナが言ってくれた。またバンドでライブやりたい、という思いを込めて作ったアルバムなので、とてもうれしかった。

LAST UP DATE 2006.5.19