第63球
「2006.4.22放射熱の意味」
打ち明け話から。実は、気合い入り過ぎでリハでついつい歌い過ぎてしまい、本番2日前リハ最終日の時点で私の声はほとんど、森進一、だった。丈夫なだけが取り柄で、ハードスケジュールに少々荒れることはあっても潰れたことはない声だったのに、たった3日間のリハーサル(3連チャンというのも効いた)、とにかくやり込みあるのみで通しを重ねたせいもあり、どうしてもノーコンエッセイを仕上げたくて、しかし保育園モードで朝7時起きのため、寝不足のままリハスタに行くことになってしまったり、昼間は暖かくても夜は思いのほか気温が下がって体を冷やしてしまったり、まあ言い訳になるがもろもろタイミングが悪く、短期決戦のコンディショニングの難しさに足をすくわれる形となった。翌日、ライブ前日は休み。耳鼻咽喉科に駆け込んで診てもらい、吸入もしたが、とにかくノドを使わず体を休める以外出来ることはない。下手に粘膜に薬を使うと、今度は鼻とノドが乾いてしまって、それはそれで声に良くないのだ(耳鼻科によっては、歌を歌うと言ってもあまり考えずに薬塗っちゃう医者もいるので、ウチの近所の耳鼻科はそういう意味では信頼出来るみたいだ)。今日の夕方と、あした出かけに吸入にいらっしゃいと言われて、医者を出た。本番まであと30時間ほど。普段の行いの悪さには定評&自信ありとは言え、ここへ来てこれか、とさすがに冷や汗が出た。家に帰ってとりあえず少しでも休もうと思って横になったが、あれこれ気持ちをよぎってうとうとすら出来なかった。保育園から戻った息子と、たまたま寄ってくれたシノハラチチに当たり散らし(と言ってもしゃべるのがしんどいので、ひたすらぶすっと黙り込んで)、夜仕事から帰ったダンナにも同じく不機嫌炸裂。しまいには怒らせて、ほとんど考えうる限り最悪の状況で本番前夜は過ぎていった。
おっかなくて声を出していなかったので、どのくらい回復してるのか回復してないのかわからなかったが、もうとにかくなるようにしかならない、という気分で目覚めた、と言うか6時半に息子に叩き起こされた本番当日。今度は朝から息子が不機嫌炸裂。ささいなことでぐずり、駄々をこね、大声を上げて、もうお手上げ状態。その日はダンナ実家に預けることになっていたので、昼前にダンナチチハハが車で迎えに来てくれたのだが、それまでケンカし通し。ダンナハハに慰められ励まされ思わず涙をこぼしながら車を見送った。ささいなことでぐずり、駄々をこね、大声を上げて。わかってるわかってる。あれは前日からのあたしの姿そのものだ。ただでさえワンマンの前は体中から発電でもしているようにぴりぴりする。今回はコンディション不良も加わって、緊張感のメーターは振り切れっ放しだったろう。いわゆる犬が見たら吠えるってヤツ。子供は動物に近いので、そのただならぬ気配を恐ろしいほど敏感に、確実にキャッチする。そしてそれを体現することで非常ベルを鳴らす。わかってた、気付いてた、でもどうしようもなかったよ、かーかんは。
なんとかかんとか気を取り直し、行きがけに耳鼻科で吸入して、いよいよ会場入り。もうほとんど開き直っていたし、少し出しておいた方がいいというスタッフの助言もあったので、リハでは思い切ってすぱっと歌ってみた。あれ、思ってたより出るじゃん。奇跡はここから始まる。
実際のところ声は、最悪ではないが最高でもない、といった状態だったと思う。ビデオを観たら、2曲目までは明らかに最悪である。駄目だ、とPA席はほとんどパニック状態だったらしい。3曲目の「422」から持ち直し、LIFE野村氏は安堵のあまり「涙出そうになった」そうである。とは言え、ビデオで観る限り、調子は全編中の下あたりを行ったり来たりしている。声が終わってくると、影響が出るのは高い方よりむしろ低い方だ。上がり切らないことより、下がり切れないことの方が不安定の要因となる。上は気合いで何とかなっても、下は技術とコンディションがものを言うからだ。伸びを欠く高音域、芯のない中音域、コントロールし切れない低音域。普通ライブの後半で現れてくる状態が、あの日はごく前半から見え隠れしている。ああ、やっぱちょーし悪かったなあとビデオを観ながら苦笑いした。でもまあそれはいい。とにかく最後まで歌い切れたわけだし。何はさておき驚くのは、私自身が本番中自分で自分の調子が悪いことをほとんど意識しなかったということだ。
それはなぜか。まず、リハから一貫して、モニター状況が非常に良かった。ライブ会場の音響は、お客さんたちが聴くフロントと呼ばれる外音(そとおと)と、ステージ上で演奏する人たちが聴くモニターと呼ばれる中音(なかおと)のふたつがある。O-EASTくらいの規模になるとそれぞれにオペレーターがついて、演奏者はリハーサル時に好みや状況でモニターオペレーターにリクエストを出しながら、自分のモニタースピーカーから聴こえる音を調整し、演奏しやすい(歌いやすい)バランスを作り、本番に臨む。私はモニターに関してはものすごくいい加減で、とりあえず聴こえてれば歌えますってかんじでいつもテキトーなのだが、今回声出ないの覚悟しながらのリハで歌ってみて、なんかすごく聴こえ方が良くて(この辺を説明し切れないあたりが、私のモニターに対するいい加減さなのね)、なーんだ、声出るじゃん、と思ってしまったのだ。結局本番を通していちどもモニターにリクエストを出さなかったので、失礼な話だがモニターオペレーターの顔も名前も思い出せない。
そしてもうひとつ、幸せな勘違いの最大の要因は、私がフロントオペレーターであるPAの本田さんを、強烈に信頼していたことだ。本田さんは、LIFE野村氏が「天才」と太鼓判を押すオペレーターで、去年の9月のバンドワンマンの時初めてお世話になり、今年2月のDVDのシューティングライブの時は大事なオフを返上して駆けつけてくれ、弾き語りでも威力を発揮して頂いた。技術的な実力はもちろん、とにかく人柄である。全く説明出来ないのだが、とにかく初めて会った時から、あ、この人がやってくれれば大丈夫、と思わせてしまう何かが、本田さんにはあった。今回も、声が出なくて参ったなあと思いつつ、半分くらいは、本田さんがなんとかしてくれる、と本気で思っていた。あとで聞いた話、モニター状況が良かったのは、通しリハをきっちりチェックした本田さんが、当日モニターオペレーターに歌の山谷を細かく指示してくれたおかげで、それで私は、歌える、と思ってしまったわけだから、結果的に本田さんがなんとかしてくれたということになるのかもしれない。とにかくそのようにしてすっかり気を良くした私は、リハから本番までの時間を、果たして3時間近く持つかという若干の不安はあったものの比較的リラックスした気持ちで過ごすことが出来た。
そして迎えた本番。舞台袖でプロデューサーの中山社長から「絶好調じゃねえんだから、ちょーしぶっこいて歌うんじゃねえぞ。落ち着いて、ていねいに歌え」と一喝されて一気に気持ちが引き締まった。そうだ、たとえ途中で声が出なくなっても、ていねいに、とにかく言葉を伝えよう、と思いながらステージに向かった。歌い始めると不安は吹っ飛んだが、時折気持ちだけ舞い上がりそうになるたび、社長の「ちょーしぶっこいてんじゃねえぞ」というおっかない顔が浮かんで、冷静さを取り戻すことが出来た。社長の喝はその後、アンコールに出る前の「声ガンガンに前に出てるから、安心して思い切って歌え」、アンコールを終えて袖に戻った時の「すぐ行って、もう1曲歌ってこい!」と続くことになる。
もうひとつ、最高に驚くべきことは、ビデオで観る限りちょっとコケるくらいの歌の出来にも関わらず、BBSへの山のような書き込みやライブのあと頂いた感想のメールの中に、声の調子に触れたものがひとつもないことだ。もしかしたら気を遣って触れずにいてくれているだけかもしれないが、多分ほとんどのお客さんたちは気付かなかったのだと思う。なぜなら私自身が、実際出ている声の質はともかく、不調を忘れる勢いで自信満々に歌っていたからだ。思ったより声が出て、最後まで歌い切れたということが奇跡なのではない。奇跡は、お世辞にも調子がいいとは言えない中、スタッフ諸氏の目には見えない濃密なサポートと、圧倒的な信頼関係が、気分は絶好調で私を歌わせてしまったということだった。
LIFE野村氏を中心に1ヶ月以上も前から打ち合わせを重ね、忙しい中リハにもきっちり付き合って準備を整えてくれたPA本田さん、照明松木さんを始めとする舞台チーム、中山社長の指揮のもと、過酷なレコーディングを越え、ステージで歌が歩き出すのを支えてくれたバンドの面々、そして最後に、乾いた砂のように歌の雨を待ちわびてくれたお客さんたちを迎え入れ、2006年4月22日、奇跡の春は完成した。本番を終え、数日後にビデオをチェックし、私ははたと気づく。radiant heat=放射熱。ある物体から放出され、他の物体に吸収されてその温度上昇に使われる熱エネルギー。私はこのタイトルを、不遜にも自分が熱を発するというつもりで付けた。しかしあの日実際に熱を発したのは、私と私の歌を取り巻く人々の思いだった。その熱が私をあたため、歌わせた。うたかたの春が、またひとつ、去った。愚かな私は、いつだって、終わったあとで気付くのだ。