第60球
私が生まれて初めてアルバイトをしたのは高校1年の時で、池袋のサンシャインシティにあるカレー屋のウエイトレスだった。別にたいした店じゃなかったけど、カレーは味がよくて、賄いが楽しみだった。時に世は酎ハイブームで、閉店後、調理場の人たちも一緒にごはんを食べながら、みんなで安ーい一升瓶の焼酎を店のソーダディスペンサーの炭酸で割って、レモンスライスをどばっと入れてぐいぐい飲んでいた。勧められるままに飲んだらあらいくらでも飲めた16歳のあたし、というわけで、私の酒飲み人生の出発点はここにある。サフランライスやタンドリーチキンを初めて見たのもここでのこと。80年代前半、なんかのどかな時代だった。
この店の店長という人は、濃い〜顔に口ひげという風貌からもうちょっと老けて見えたが、当時20代後半で、大学を出て本当はホテルで働きたかったという人だった。仕事には厳しかったが、酒飲みで、熱い人。叱られもしたが、ずいぶんかわいがってもらった記憶がある。私がこのあとだんだん高校がつまらなくなるのは、バイト先にオモシロイ大人が多くて、そっちと話している方が楽しかったというのも一因だったかもしれない。結局私はこの店で高校時代を過ごし、酒量を上げ続け、歌を書きライブをやり始め、ややこしい人生へと踏み出していくことになる。
ホテルマンを目指していた店長は、アルバイトとはいえ容赦せず、お客さんに対する口のきき方から、食器の持ち方、運び方、下げ方、厳しくしつけた。私は今でも片手でディナープレートを3枚、重ねずに持つことが出来る。ごはんは左、ソースは右に、下げる時はひと声かけて、お客さんの目の前で食器を重ねない。当時は特に何も思わず、そういうもんだと思ってやっていたが、のちに世間に出てあちこちで食事やらお茶やらするようになった時、ああ、と初めて気付いた。わりと敷居の高いような店でも、食べ終わったお皿を目の前で重ねちゃう従業員はいたりして、そうなるとやっぱりせっかくオイシイものを頂いてもなんとなく気が殺がれてしまうし、逆に、カジュアルなカフェの若い店員が完璧な敬語を使いながら優雅に食器を扱っているのを見ると、ただのコーヒーでもおいしく思えたりする。ま、別にいいっちゃいいんですけどね(笑)、要はココロザシなのだなと。
店長は、志の高い人だった。たかがカレー屋のアルバイトに、ホテルのラウンジでも通用するような接客マナーを教え込んだ。だからなんだんだ、と言われれば、なんでもありませーん、と笑うだけだ。でも、そういう、あきらめない、のかんじが、好きだ。
久々のバンドでのライブを控えて、そんなことを不意に思い出している。カレー屋の店長は、その後自分でラーメン屋を始めた。今どうしているだろう。まだ、あきらめないでいるだろうか。
まだ歌ってるあたしを見て、なんて言うだろうか。ひとの価値はどこにいるかで決まるのではなく、そこで何をするかで決まるのだと思う。自分が今どこにいるのかは、わからない。でも、すこし見上げるくらいの気持ちで、やるべきことはわかっているから、きっとほめてもらえると思うのだ。
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