第59球
「2004年過ぎ去りし春の記憶」

act.2 仲春〜everything is passing〜

 「種と果実」のあまりにもディープな余韻から冷めやらぬまま、約3週間のインターバルを経て始まったセルフカバーvol.2の制作。ぼやけた頭を、きっちり気持ちを切り替えてきた五十嵐くんと、相変わらず暴走すれすれの(笑)卓夫さんのピアノが叩き起こしてくれた。

 制作にあたってまずこだわったのは曲数。曲数をいかにして減らすかという一点だった。ファンの人たちからすれば、単純に、1曲でも多く、と思うのは当たり前のこと。ましてやセルフカバーということであれば、あれも入るかなこれも入るかなと思いが膨らんでいることは承知の上で、ひたすら曲数を減らすことを考えていた。
 前作「SPIRAL」は当初12曲の予定が「愛している」をどうしてもあきらめきれなくて、最後の最後に滑り込みエントリー。それはそれでよかったけれど、やっぱ13曲って多いよな、という思いは後々まで残った。よく洋楽のアルバムなどで、14,5曲入って更にボーナストラック2曲とかいうのがある。私は音楽好きではないのだろうか? 最後まで飽きずに聴けた試しがない。いいなあと思って聴き始めても、最後の数曲はみんな同じ曲に聞こえてしまったりする。よほどファンでない限り、人は1曲ずつを聴くのではなく、アルバムとして聴くからだ。これいいから聴いてみて、と渡されたCDに15曲も入っていたら、申し訳ないけれど私だったらうーんと考えてしまう。最近ゆっくり音楽を聴く時間なんてないし、集中力もとみに衰えているので余計そう思うのかもしれない(苦笑)。あれもこれもで気付いたらまだやってた、より、ぎゅーっとおいしいとこだけで気付いたらもう終わってた、というアルバムがいいなあと思うのだ。ましてピアノと歌だけというお構いの出来なさ。10曲でも充分果敢だと、私は思っている。

 セルフカバーについてベスト盤という考えはないけれど、「SPIRAL」にはいちおう代表曲ということでシングルがたくさん入った。メジャー時代、シングル(いわゆるキャッチーでパッとしたヤツ)が苦手でいつも苦労していたが、やはりそれなりに私の歌の中では華のあるものがそろったと思う。そういう意味でvol.2は曲的には地味だが、その分セルフセレクション色が強くなり、曲を絞り込むにあたっても、リアルタイムの心情、ということがキーワードとなった。
 時の流れが歌に及ぼす作用は歌ごとに違う。ふるいにかけられてしまう歌もあるが、「SPIRAL」のあとがきなどでも書いたように、時を経たことでむしろ輝きを増したり、時を経たからこそうなずける思いだったりという歌も存在する。リアルタイム、というのは、30代後半の今の気持ちで照れずに歌える、ということだが、同時に、30代後半の女が歌っている歌を聴いて30代後半の人が照れ臭くならない、ということでもある。ファンの人たちのリクエストとは、ずれる部分もあったと思うが、私なりにそう思えた10曲を選んだ。
 93年の秋「誰の様でもなく」というはたちの時に書いた歌をセカンドシングルにしようということになった時、いい歌ではあるけれど、と思いつつ、その表現や言葉遣いの青臭さが照れ臭くてたまらず、最後までリリースを渋ったことがあった。27にもなって青臭いこと歌ってる人、と思われるのも我慢ならなかった。そのへんを臆面なくやれる人もいて、そういった過去に対する割り切りの悪さが私のプロとしての限界(のひとつ)だったのだろうと今は思う。でも、まあ、基本的にやっぱり昔の写真は恥ずかしいというか、くすぐったいけど。

 ピアニストふたりに出したリクエストはたったひとつ。「好きなようにぶっこわして」。五十嵐くんは、新しい屋根を作ったり、窓ガラスを替えたり、元の家を活かしてリフォームした。卓夫さんはほんとうにぶっこわした(笑)。卓夫さんの名誉のために言っておくと、杉山曲の方がバリエーション的に難しくて、手を替え品を替えしないとピアノだけではもたなかったということである。10曲とも、単品で考えればピアノアレンジのアプローチは他にいくらでもあるが、同じようなテンポ、同じような構成の歌が多い上に、若い頃書いた歌は、勢いはあってもサイズや展開に無理があるものもあるので、両ピアニストにはそのあたりを冷静に見極めてもらった上で、あくまでアルバムという観点から曲によっては大胆に手を入れてもらった。昔は自分で書いたままでしか歌えなかったのが、最近やっとテンポやグルーヴの変化に合わせて歌い方を変えることが出来るようになってきたので、あれこれ考えながら歌を再構築する作業は大変だけれど楽しかった。同時に、改めて自分の音域が狭まってきていることも痛感させられたが(苦笑)。オリジナルを聴き慣れた人には相当違和感があることも承知しつつ、なんだかんだ言って要は美容院に行ったらたくさん切らないと気が済まない性分なのである(笑)。どうせやるなら変わらなきゃつまらない。不細工なんだからあきらめろよと思いながら、へんし〜んを夢見てしまう。モノ作りは髪を切りに行く気持ちとどこか似ている。本物の自分よりちょびっとだけ美人の自分を思い描いて、鏡の前に座る。

 弁解じみていると思いながら思いつくままに述べてみたが、すべては実のところ「初めて聴く人のために」というキーワードに帰着する。誤解を恐れずに言えば、このアルバムは篠原美也子を知らない人のために作った、と言えるかもしれない。大胆なリアレンジには、古臭さのようなものを出来るだけ排除したいという側面もあった。セルフカバーとは言え、昔を振り返って肩を叩き合う往年の名選手チームのようなアルバムではなく、無名でもまだ闘う気力のある現役選手のアルバムを作りたかった。なぜなら、大それた願いだと承知の上で、私は心ひそかに、私の歌を中島美嘉さんや浜崎あゆみさんを聴いている人に聴いて欲しいと思っているからだ。どんなに無理でも、そんなわけないとわかっていても、私は私を閉じてしまいたくない。未知のリアルタイムをターゲットとする欲をなくしたくない。ファンの人たちが喜ぶからというだけで、安易にDVDを作りたくない理由もそのあたりにある。様々なリクエストを深々と受け止めた上でそんな思いに愚かにこだわり続けることが、世間がどうあれ私の歌をそばに置き続けてくれた人たち、そばに置きたいと思ってくれた人たちの思いに応えることだと信じ、この、長く聴いている人には甚だ不親切なセルフカバーアルバムを作った。勝とうと思って何かを作るつもりはない。でも負けるつもりで何か作る気も、ない。

 どの歌も表情が変わって、新曲のような気持ちで録っていたせいか、それともただボケてただけか、歌詞カードに各曲のオリジナル収録音源を載せるのをきれいさっぱり忘れてしまった。ほんとうに、気付いたのはもう見本盤があがってきてから。

01.Keeping my step 93.05.21release AL「海になりたい青」
02.風のかたち 93.11.21release AL「満たされた月」
03.情熱 94.10.21release
94.11.23release
SG「ありふれたグレイ」c/w
AL「いとおしいグレイ」
04.Don't forget 95.10.04release AL「河よりも長くゆるやかに」
05.Time is ripe 93.05.21release AL「海になりたい青」
06.Passing 93.04.21release
93.05.21release
SG「ひとり」c/w
AL「海になりたい青」
07.河を渡る背中 94.11.23release AL「いとおしいグレイ」
08.ありふれたグレイ 94.10.21release
94.11.23release
SG「ありふれたグレイ」
AL「いとおしいグレイ」
09.Fool in the Rain 95.10.04release AL「河よりも長くゆるやかに」
10.Good Friend 96.10.09release
97.02.05release
SG「Good Friend」
AL「Vivien」

 はからずも「Everything is passing」に収録した曲は全部20代に書いたもの、「種と果実」に収録した曲は全部30代に書いたものとなった。これも気付いたのは2枚とも作り終えてから。永遠のように思われた20代。結果と向き合うことを余儀なくされる30代。大人になればわかる、とどこかのんきに考えていたような気がする。わかったのは、喜びでも悲しみでもなく、問いかけだけが永遠なのだということ。結果は必ずしも答えではないということ。今回、ジャケットやインナーに使う写真を、アートディレクターと手分けして撮った。私はきれいな写真集も好きだし、映画も好きだが、実は映像にあまり興味がない。性格的にマメさに欠けるということもあるし、歌というかたちではからずも足跡を残すような商売を選んだくせに、何かを残すという行為になんとなく居心地の悪さを感じてしまうようなところがある。往生際が悪いので、なるたけ後悔の元は作らないでおきたいと思うのかもしれない。「残してきたものは、たとえあのまま家にとどまっていたとしても、どっちみち流行遅れになるか、壊れてしまうか、使いものにならなくなるーーそうすっぱり割り切れるのは、いつのことだろう? いつになったら、今あるものだけがほんとうに自分のものなのだと思えるのだろう?」(アン・タイラー「歳月のはしご」より)。そう、だから、やり逃げ、ならぬ、生き逃げがいいと、ほんとうはいつも思っているのだ。それなのに、セルフカバーをもう2枚も作ってしまった私はほんとうに往生際が悪い。でも、このアルバムに収めた10曲も、紛れもなく「今あるもの」だし「ほんとうに自分のもの」なんだから仕方ない。すべてはこの瞬間にも過ぎ去り続け、私はねじれた愛情を胸にまだ四の五の言い続けている。

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LAST UP DATE 2004.12.18