第58球
「2002.12.5ドキュメントTHE出産・後編」
4.出産
子宮口はすでに全開。分娩台に寝て、足の方に医者、頭の方にダンナ、脇に看護婦さん(助産婦さん?)。何か器具を取り付けて、多分医者は胎児をモニタリングしてたんだと思うが、スピーカーから胎児の心音も聞こえてきた。さあ準備万端。痛みが強くなったら息む、をひたすらくり返す。ここの医者はわりとのんきと言うかざっくりしていて、おなかが大きくなってきた頃「いいよ、母親学級なんか行かなくて。その時になったら出来るから」と言っていて、めんどくせーと思ってたあたしは、おお、ラッキー!と思ったもんだが、なるほど出来るもんだ、て言うかやり方もクソもあるかこんなもん。とにかく踏ん張るのみ。ただ、普通うーんと踏ん張ると息を止めてしまうものだが、この場合踏ん張りながらもおーきく呼吸しなければならない。注意点は以上。ハイ上手だよー、赤ちゃん降りてきてるよー、と多分誰にでも言う医者の合いの手を聞きながら必死で息み続けるが、分娩室に入った時点ですぐでもという勢いだったのにどうも出てくる様子がない。助産婦さんが息むのに合わせておなかを押してくれるが効果なく、ついに医者が、ちょっと赤ちゃんが苦しくなってきちゃったからね、と言い、吸引分娩ということになった。あたしにはその器具は見えなかったが、トイレが詰まった時カポッカポッとやるあれを思い出して頂けばいい。カップを胎児の頭に当てて、ポンプを使って引っ張る、ということを今インターネットで調べて知った。そうだったんだー。まさにトイレを直すみたいに手で引っ張るのかと思ってた(笑)。あたしはもうへとへとで、ひたすらおなか痛いし、吸引でも何でもいいからとにかく早くしてくれってかんじ。そして息むこと数回、最後あまりの痛みに思わず目をつぶると、助産婦さんが「ほら!見て見て!」と叫び、目を開けると医者が産声を上げる赤ん坊を抱き上げるのが見えた。2002年12月5日木曜日午後11時18分。その瞬間の感覚は覚えがない。出産はすごい便秘が解消するみたいなもの、とどこかで読んだことがあったが、そんなかんじだったかな。それよりも、あたしは感激していた。もう世界中に向かって叫び出したいくらい感激していた。おなかが痛くないって、こ、こんなにもシアワセなことなのねーっ。ダンナはダンナで、まわりから、カンドーするぞーとか泣いちゃうぞーとか言われていたものの、あまりの慌ただしさ、あっけなさにただボー然としていたらしい。あたしには永遠のように感じられたが、ダンナにしてみれば、何?何がどーなったの?と思ってる間に産まれてしまったというかんじだったのだろう。産まれてみてわかったのだが、へその緒が首にひと巻きしており、なかなか産まれる気配がなかったのも、産まれそうになってからも最終的に自力で出てこられなかったのもそのせいだったようだ。幸い大事無く、のちに、龍之介、と名付けられることになるちっちゃな男の子は元気にふぎふぎ泣いていた。吸引分娩のせいで頭がちょっと長細かったので、ちゃんと直るのかなあとダンナがしきりに心配していたっけ。ちなみにあたし自身は鉗子分娩(鉗子で頭をはさんで引っ張り出すという、吸引よりハードなやり方)で生まれて、やっぱり頭が長細かったらしい。ま、今フツーだしね(笑)。産まれてすぐ医者が撮ってくれた赤ん坊のポラロイド写真がある。まだへその緒が付いたままで血まみれ。どっちかって言うと、し、死んでる!ってかんじなのだが(笑)これが命の始まりの姿なのだなあと、たまに取り出して眺めては不思議な気持ちになる。身長49.8センチ、体重3486グラム。生まれたてはしわくちゃで猿みたいだと聞いていたが、きれいに洗ってもらって産着を着せてもらい、胸元に連れてこられた赤ん坊はしわくちゃでもなければ、猿みたいでもなく、色んな表情が想像出来るちゃんとした、顔、をしていた。なんてきれいな子!と、思えばこれが親バカの始まり(笑)。でもその後看護婦さんたちにも、顔がしっかりしてるわねえって何回も言われたもんね〜。あたしが分娩室に入ったあと到着したウチの両親と初孫のご対面があったり、初めてのおっぱいをあげたり、あと、後産(胎盤が出ること)というのがあったはずなのだがさっぱり覚えていない。母子手帳を見ると、分娩所要時間2時間38分とある。逆算すると、病院に電話をしてから後産までということになるのかな。初産婦だと平均12〜16時間と言われているので、ありえないスピード出産である。でも吸引だったしな。時間的には超安産、形態は難産というわけだ。ははは、ヘンなの。予想外に早く産まれてしまって病室の準備が間に合わず、もう真夜中だったし、その晩は分娩室の向かいの控え室みたいなところで過ごすことになった。赤ん坊とふたりきりになったのは深夜3時過ぎ。遅いけどまあいいやと思いながら、色んな人に、無事産まれた!と携帯でメールを打った。亜紀ちゃんが、泣いていい?と即座に返事をくれたのを覚えている。赤ん坊は隣で静かに眠っていた。なんかよくわかんないけどカワイイぞお、と盛り上がったあたしは、そうだ、と、自分で書いた「子守歌」を小声で口ずさみ、ヒジョーにカンドーし、次の瞬間モーレツに赤面し、誰もいないのに誰かに見られたような気分で、ひとりベッドで悶絶しそうになった。気持ちはこんがらがっていたし、体は疲れていたけど、なんだか気分は無敵。のちのち、産むのなんざ犬でも産める、大変なのは育てることなのねーっと思い知ることになるのだが、この時はまだ寝てる赤ん坊を眺めて起きないかな〜などと余裕ぶっかまし。ひと仕事終えたのにビールで乾杯出来ないなんて残念、と思いながら、子持ちになって初めての夜は過ぎていった。
5.エピローグ
あたしがお産をしたのは町の小さな産院だったが、その時期たまたまあたしの他にお産が3人(ちなみに、ひとりは二人目、ひとりは無痛分娩、ひとりは帝王切開と、お産の見本市みたいだった)、それに婦人科系の入院が重なって病室は満杯。あたしが予約していた部屋は3日後に空くということで、とりあえず唯一空いていた特別室に落ち着いたが、あしたはお引っ越しという日、医者がやってきて、よかったらこのままここ使っていいよ、と言ってくれたので、結局そのまま居座らせてもらうことにした。ちなみにお値段は予約していた部屋のお値段で(笑)。そんなわけで、生まれて初めての入院生活はラッキーにも二間続きの広々とした特別室で超快適。カウチでのんびりテレビを見たり、ネットは繋がらなかったけどパソコンで日記を書いたりし、夜は布団で赤ん坊と一緒に眠った。亜紀ちゃんやなつもお見舞いに来てくれた。
個人病院のせいか、食事も手作りですごくおいしかった。普段は各病室で食べるが、お産や急患がなければ、日曜の朝晩は食堂で料理が趣味だという医者の手料理をみんなで頂くことになっていて、あたしの時は朝は本格中華がゆ、晩はあたしを入れて産婦3人とそれぞれのダンナも一緒に前菜から始まるフルコースディナー(ちなみにダンナの分は別料金1500円也)。ひとりの産婦さんが差し入れでもらったというシャンパンを持ってきて、あたしも大喜びでご馳走になった。もうひとりの産婦さんが、あとでおっぱいあげるので飲まない方がいいですか?と医者に聞いていたが、酔っ払わなきゃいいよという返事。そういえば、初めての妊婦検診で最初にした質問は、ビール飲んでもいいっすか?だったなあ。その時も同じ返事だったっけ。ここの医者は、どっか異常がない限りとにかく出来るだけ今まで通りに生活しなさいという医者で、ライブもどんどんやりなさいと言ってくれたし、暴れん坊妊婦のあたしにはありがたい医者だった。
命名はダンナ。夏頃にふと、龍っていう字いいですよねえと言い出して、そうですねえなんて答えつつ、でもダンナは一応女の子希望だったのでそれっきりになっていたのだが、生まれてみて男の子だったので再浮上し、そのまま決定。
最初から出の悪かった母乳は2月半ばにレコーディングを再開するとますます出なくなり、それでも頑張って4月いっぱいくらいあげていたが、その後は完全ミルク。
妊娠中はすっぱり禁煙。しかし生まれてからはもう疲れて疲れて、夜中ダンナにお願いして1本もらったりしていたが、授乳終了に伴い喫煙も復活。だいぶ本数は減ったが。
そして1年。
たまに上手に何歩か歩けると、龍之介くんはあたしを見上げてうれしそうに笑う。あたしも、新しい歌が書けると今でもやっぱりうれしいんだよ、と思ったりする。
無理を承知で、あちこちぶつけながら1年来た。これからも行く。子供の笑顔に救われて、なんてきれいには言えない。あなたが笑ってくれるならなんでもいい、ではなく、あなたが笑うようにあたしも笑いたいと思いながら、行く。 |