from Miyako Shinohara

Extra Volume

シノハラミヤコのノーコンエッセイ
「行き先はボールに聞いてくれい」第38球

緊急レポート第2弾
テニス全英オープン
男子シングルス決勝
ラフター対イヴァニセヴィッチ
 イヴァニセヴィッチは、サービスエースを決めたボールを次のサーブで再び要求する。彼は神を信じている。それは彼が、内戦の混乱の歴史を持つクロアチアという国を故国とするせいかもしれない。雨によるサスペンデット(中断)の連続で、結果的に3日がかりとなったヘンマンとの熾烈を極めた準決勝を制した後の記者会見でも、彼は「神は自分を見捨てなかった」とコメントしたという。

 例年のこととは言え、終盤雨に泣かされた今年のウィンブルドン。大会を締めくくる男子シングルス決勝は、丸1日順延。108回を数えたウィンブルドンの歴史の中で、13年ぶり3回目という月曜日のファイナルとなった。

 パトリック・ラフター。オーストラリア。27歳。サーブアンドボレーを得意とする芝のスペシャリストで、華麗なネットプレイとガッツのある闘いぶりが身上。加えて、人柄の良さと精悍なルックスで人気が高い。ランキング9位。去年の決勝ではサンプラスに4連覇を許し、2年連続の決勝進出となる今回に雪辱を賭ける。
 一方、ゴラン・イヴァニセヴィッチ。クロアチア。29歳。サウスポーの長身から繰り出される200km/hを越えるサーブを武器に'92年、'94年、'98年と決勝に進むが、いずれも準優勝に終わる。左肩の怪我もあり最近は低迷気味でランキングも125位まで落とし、今回のウィンブルドンもワイルドカード(主催者推薦)で辛うじて出場。しかし、ワイルドカードからの決勝進出はグランドスラム史上過去に例が無い。
 どちらが勝っても初優勝である。

 第1セットイヴァニセヴィッチ、第2セットラフター、第3セットはイヴァニセヴィッチ。日程がずれて改めて売り出されたという1万枚のチケットは即完売。オーストラリア、クロアチア、両国の国旗がスタンドのあちこちではためき、オーストラリアカラーの黄色とクロアチアカラーの白と濃いピンクの格子柄が1ポイントごとに地鳴りのような歓声を上げ、いつもどちらかと言えばおっとりした雰囲気のセンターコートは、テニスコートというよりもサッカー場の様相を呈していた。主審の「Thank you」と「Quiet please」があんなに多かったウィンブルドンの試合を初めて見たように思う。

 「サーブしか出来ない」というような陰口を叩かれ、「I'm genius!(オレは天才だ)」と言い放ったというエピソードもあるイヴァニセヴィッチの魅力はもちろん強烈なサーブだが、ビッグサーバーゆえのプレッシャーから、過去の決勝ではダブルフォルトを連発して自滅するなど、メンタルの弱さを指摘されてきた。しかし、決してテニスエリートでもなく、左肩一本を武器に故国の動乱に胸を痛めながらコートに立つ、彼の幾分センティメンタルなバックボーン以上に、マイナスの感情をファイティングスピリッツに転化出来ず、感情を剥き出しにただただ真っ正直に混乱し、見失い、崩れて行くその姿は、なぜか共感という熱を帯びて人々の心に残ることとなった。イヴァニセヴィッチが準決勝で破ったティム・ヘンマンは、地元イギリスの期待の星で、63年ぶりのイギリス人決勝進出が期待されていた選手である。その前の準々決勝でも彼は、同じくイギリスのルゼドスキーを破っている。二人のイギリス人を倒したにも関わらず、スタンドからあれだけの声援を受けることが出来たのは、ウィンブルドンを見続けているロンドン子たちがその熱を覚えていたからではないだろうか?誰もが彼の強さ より、弱さを覚えていたからこそ、何としても彼を勝たせたいと願ったのではないだろうか?

 このセットを取ればイヴァニセヴィッチの優勝が決まるという第4セット。元々傷めていた上、3日間にわたる準決勝を闘い抜き、休み無しで決勝に臨んだイヴァニセヴィッチの左肩はとっくに悲鳴を上げていた。エースの数は、普通の1試合平均の半分。スピードを落とし、コースをついて凌いでいるものの、大事なところでビッグサーブが決まらずストロークが長引けば、粘り強いラフターのペースになることは明らかだ。第3セットの途中から、コートチェンジのインターバルでトレーナーを要求し、痛み止めとマッサージの応急処置を行う。しかし苦しいキープが続き第6ゲーム、フットフォルトから崩れついにラフターにサービスをブレイクされる。ダブルフォルトで落とした最後のポイントの微妙な判定に、ラケットを叩きつけ、ネットを蹴り飛ばし主審に食って掛かるイヴァニセヴィッチ。結局このセットイヴァニセヴィッチは2-6で落とし、試合はタイブレイク無しのファイナルセットへともつれ込んだ。

 途切れ途切れの準決勝、第4セットに入ってすぐ最初の中断になったが、その時点でスコアはヘンマンの1セットアップ。イヴァニセヴィッチは第1セットこそ取ったものの、第2セットを落とし、第3セットも全くいいところなく0-6で落としていた。流れは完全にヘンマン。誰もが久々のイギリス勢決勝進出を確信したその時、運命の雨は降った。試合は翌日に持ち越され、再開された第4セットをイヴァニセヴィッチは取り返す。フルセットに持ち込んだところで再度中断。一夜明けて第5セットも押し切り、3日間にわたる死闘にケリをつけた。ウィンブルドン名物とでも言うべき雨によるサスペンデッド。準決勝のイヴァニセヴィッチは空がくれた猶予を味方につけ、見失いかけた流れを取り戻した。しかし決勝、彼を知る誰もが、多分無理だと思った。ファイナルセット開始までの時間はわずか2分間。

 以外にもイヴァニセヴィッチは再び集中力を取り戻した。双方全く譲らず、1ゲーム終わるごとに、ゴランコールとパットコールがスタンドを揺らしていた。ゲームカウント7-7。迎えた第15ゲーム、ついに均衡は破れた。フォアのリターンエースを2本連続で決め、イヴァニセヴィッチはラフターのサービスをブレイクする。オーストラリア、クロアチア、正反対の祈りを込めた、悲鳴のような大歓声に、テレビの前にいてさえくらくらする。第1、第3セット、イヴァニセヴィッチ、第2、第4セット、ラフターという展開からもわかるように、流れはどちらに傾いてもおかしくなかった。勝利の女神か、天使か、そんなものがいるとするなら、彼女たちでさえ天秤の真ん中で迷っているように思われた。迷った挙句、女神は賭けに出たのだ。あの第4セット、第6ゲーム。いったんは途切れた闘争心。しかし彼は受けて立った。

 イヴァニセヴィッチは、サービスエースを決めたボールを次のサーブで再び要求する。彼は多分神を信じている。

 ファイナルセット第16ゲーム。イヴァニセヴィッチのサービスゲーム。ここをキープしさえすれば、優勝が決まる。14年連続、14回目のウィンブルドン、グランドスラム大会48回目にして、初の栄冠となる。エースで掴んだ最初のマッチポイント、なんとイヴァニセヴィッチはダブルフォルトで落とす。デュース。甦る悪夢。どよめき。プレッシャー、プレッシャー。2度目もダブルフォルト。3度目はラフターが凌ぐ。イヴァニセヴィッチは文字通り祈っていた。ボールにキスをし、そのボールを抱きしめ、何事かつぶやきながら天を仰いで祈っていた。

 誰もが、彼の強さより弱さを覚えていた。だから、彼を愛した。自分には決して起こらないとわかっているから、その熱が太陽に届くことを願った。

 4度目のマッチポイント。彼はもう祈らなかった。天も仰がなかった。そしてサーブ。ラフターのリターンはネット。ゴラン・イヴァニセヴィッチ、頂点の瞬間。

last up date 2001.7/15
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