シノハラミヤコのノーコンエッセイ
「行き先はボールに聞いてくれい」第28球
CD発売記念スペシャル
『新しい羽根に関する自画自賛』

Extra Volume

 去年の今頃、何をしていただろう?
 いつものこととは言え、スポーツ好きの私にとっては、あちこち目が離せない!ってかんじの時期。ラグビーでは慶應タイガージャージが復活、社会人でも神戸製鋼が久々に日本選手権を制し、ジャイアンツは工藤江藤という大型補強に加え、長嶋監督の背番号3復活で話題を振り撒いていた。また、去年はオリンピックイヤー。本番を半年後に控え、高橋尚子は最後の選考レース名古屋国際女子マラソンに向け、プレッシャーの中最終調整を行っていたっけ。
 ノーコンエッセイのBack Issueを見てみると、去年の2月は12月のライブの自問自答と、久々にクラシックピアノにはまっている話の2本。のどかなもんである。要するに私は相変わらずスポーツ観戦にうつつを抜かしながら、早くあったかくなんないかなあと、花粉症の鼻水をすすりながらぼーっと窓の外を眺めていただけだった。20世紀最後の春が近付いていた頃である。
 あれからたったの1年。私は無事CDのリリースとライブを終え、たくさんの目標を抱えた21世紀最初の春を迎えようとしている。私の往生際の悪さは決してポジティヴな方にばかり働かないので、この期に及んでまだ、なんかとんでもないオチが待ってるんじゃないだろうかとひそかに戦々恐々としているのだが、ま、リリース直後なんだから浮かれてもいっか。とりあえずたくさんの人への感謝の気持ちを込めつつ、今回はプロデュースの中山氏、アレンジ・ピアノの杉山氏のコメントと共に作業課程を振り返り、曲解説を交えながら、目いっぱい自分で自分を誉めて差し上げようかと思う。わはは。

1.レコーディングまで

 最初に「CDを作りませんか?」という具体的な話になったのは、去年の8月頃だったと思う。思いがけず東京百歌が毎月売り切れて、暮れにワンマンをという話も出ていたが、ワンマンはともかくCDに関しては、「さすがに世間もそこまで甘くねーだろー」と思っていたし、「これ以上欲張ったら絶対バチが当たる」と思っていたので、ありがたくお話を聞かせて頂き、それなりに気持ちも述べさせて頂いたが、まずそんなことにはならないだろうとのんきに考えていた。ところが、東京百歌スタッフたちの執念もあって話は進み、10月にめでたく立ち上がった新レーベルソングバードから、シノハラミヤコのCDは発売されることが決定する。当初は11月にレコーディングをして、暮れのワンマンで発売という予定が立てられていたが、スタジオの機材の問題などあって、結局は暮れのワンマンで発表、年明けリリースということで落ち着いた。
 さて問題は中身である。私は迷わず、『河よりも長くゆるやかに』『Vivien』などで仕事をしたアレンジャープロデューサー中山に相談した。その頃彼は反町隆史くんのプロデューサーとしてレコーディングの真っ只中で、私も曲を提供させてもらった関係で結構まめに連絡を取り合っていたこともあったのだが、何よりも彼は、『Vivien』と『Still』の間で結局ボツになった『flower』のプロデューサーだった。絶対『flower』は収録するつもりだったし、あの時のリベンジのためにも私はどうしても彼にプロデュースして欲しかった。そして、「ほんとに出来んのかあ?」と笑いながら引き受けてくれた中山がキャスティングしてくれたのが、杉山さんだった。

杉山 「楽しいレコーディングでした。
 とは言うものの、打ち合わせの時までは、歌とピアノ、それと少しのシンセサイザーを加える程度の仕上がりにすることとは全然考えていなかったので、正直少しとまどいました。1、2曲ならまだしも6曲となると、それなりのバリエーションを考えなくては、他の曲と同じように聴こえてしまうかもしれないし、聴いていてあきないようにリズムを変えたり・・・など、リハーサルをするまで悩んでいました」

 杉山卓夫さんは、元々久保田利伸のバンドMOTHER EARTHで活躍したキーボーディストで、最近では知念里奈、DA PUNPなどのツアーに参加されている。私はアルバム『Vivien』の中で、「Always」「極楽駅から見える月」の2曲に参加して頂き、御一緒するのはそれ以来だったが、相変わらず温度のあるピアノで、私の歌と見事にタンゴを踊って下さったのはお聴きのとおり。
 でも、さすがの杉山さんも、「歌とピアノだけでアルバム1枚作りたい」という主旨に最初は不安を隠し切れず(当たり前だ!)、中山に「ギターも入れようよー」とか「パーカッションとか色々入れていい?」とか言って、かなり困っていた。

杉山 「が、彼女の歌と一緒に演奏したとたん、それまでの心配や不安は消えてしまいました。僕の役割は彼女が気持ちよく歌ってくれることだけを考えていればいいんだ、それには彼女と同じ気持ちで演奏すればいい作品になることがわかったからです。あとはレコーディング当日の気持ちを大切にしようと、お正月気分もそこそこに1月11日にスタジオ入りをしました」

 今回のレコーディングは基本的に歌とピアノだけということで、一発録りの可能性も踏まえて、本チャンの前に2日間のリハーサルを行った。リハーサルスタジオで実際に演奏しながら、テンポを決めたり、杉山さんはピアノアレンジを煮詰めたり、私も改めて歌い方を練ったり、要するに練習である。
 バンドがレコーディングする時など、リハでアレンジや演奏を詰めて行くというのはよく聞いていたが、私はレコーディングリハーサルというのは初めてで、これが新鮮で楽しかった!
 リハーサルでは生ピアノではなくエレピを使ったので、ダイナミズムの感じが掴み切れないことに杉山さんはまだ少し不安を感じていたようだが、わーいわーいとばかりに好き勝手歌う私を見て腹をくくってくれたんだと思う(笑)。各曲の風景が見え始め、私たちは無事レコーディングに突入した。

2.それでは曲解説

 杉山さんのコメントを中心に、1曲ずつ振り返ってみる。

@HERO 「リハーサルの時には今一つうまく出来ていなかった曲ですが、当日は最初からいい演奏だったと思います。やはり歌が入ると演奏も引き締まります」

 生ピアノの威力が最大限に活かされている曲。とにかく1番好きな歌なので1曲目にした。ちなみにこの曲はクリックを使っておらず、一発録りの格好で録音し、あとで歌を入れ直した。杉山さんよくテンポよれないよなあと感心(当たり前か)。中山が、「どう見ても歌詞になりそうにない歌詞に、お前にしては珍しくビンボー臭くないメロディがついている」と珍しく誉めてくれたのがうれしかった。

AWIND IS GONE 「彼女のデモテープを聴いてみると全曲テンポが同じような感じがして(もっともピアノと歌だけという条件ではしかたないのですが)コード感だけ変えようか、と思ってイントロや間奏のコードをいじった曲です。僕の中ではサビはサビらしく、というテーマで演奏しました」

 反町隆史くんに提供した曲。中山始め反町スタッフの素晴らしいヴォーカルディレクションでメロディのグルーヴをきっちり作って頂いたので(笑)、反町くんのCDを聴きながらずいぶん歌い方を練習した(難しかった・・・)。その甲斐あってか、中山は、「オケも歌もこれが1番出来がいい」とのこと。ピアノに関しては、私からは逆さに振っても出ないコード進行なので、うひょーかっちょいーと無邪気に喜んでいたが、ライブで弾けるかどうかはいまだに謎である。

Bplace 「一番気に入っている曲ですが、一番難しかったです。『おかえりここがあなたの場所・・・』のくだりの気持ちがなかなか彼女と一緒にならなかったのですが、仕上がりを聴いてみて歌に助けてもらったことがわかりました」

 なんのなんの。ピアノがうまく間をぬってくれているおかげで、私のリズムの悪さが‘あんまり’ばれずに済んでいる(笑)。こういうハネものはなかなか書けないし、ごろっとしたピアノも弾けないのですごくうれしかった。よほどうれしかったのか、歌もつぎはぎ無しのワンテイクOK(ちょっと自慢)。余談だが、撮影やらクレジットの整理やらで余裕のなかった私は、この曲のプレイバックで涙が出て困った日があった。

Cwater 「前の曲もそうですが、ゴスペルっぽい雰囲気は僕自身好きなので何も考えずに演奏できました。全曲言えることですが、少ない編成だと歌の息づかいがよく聞こえてきて僕なんかはゾクゾクしてしまいます」

 自分は弾けないけど私もこういう雰囲気すごく好きで、でもあたしが歌うと全然ゴスペルになんなくて(笑)。1曲くらいライブでもやったことないのが入るといいかなあと思って、去年の秋頃書いた歌。「こんなにパーソナルな歌を書くなんて、死ぬほどびっくりした!」とある古い友だちがほとんどうろたえながら言っていた。どんなに自分のことを書いても、必ず、ある‘余地’を残すのがシノハラミヤコの歌だった、とその友人も言っていたし、私もそう思う。言われてみて初めて気付いたが、『water』という歌にはその‘余地’が全く無い。スントー対談にも書いたように、契約が切れて以降、結果的にインディーズに向かいながらポピュラリティに対して混乱する中で、「書いちゃったんだろーなー」ってかんじである。思えば17年前、尾崎豊に触発されて歌を書き始めた17歳の私にとって、「自由」という言葉には特別な意味があった。はたちを過ぎてからはほとんど使うことのなかったその言葉で『water』という歌を締めくくった時、私はこの言葉に対してある種の「落とし前」をつけたのかもしれない。・・・なんてね(ちょっと照れた)。

Dflower 「デモテープではもっとテンポが遅かったのですが、プロデューサーの中山氏よりもっとテンポを上げてくれとの意見が出た曲です。とはいうもの、歌とピアノだけでは限界があるので、サビのコードを1小節中に1つだけだったものを2つに分けて、シンコペーションをつけてスピード感が出るようにしました」

 この曲を書いたのは、97年の初夏。『Vivien』で新しい手応えをつかみ、その手助けをしてくれた中山とほとんど共作に近いような形で作った歌である。初めて曲作りの段階から他人が関わるという、完全プロデュースシステムの中スタートしたこのプロジェクトは、レコーディングを終えながら結局世に出ることなく終わることとなるが、その中でプロデューサーの中山が私に叩き込んだのは、とにかく「メロディを意識すること」だった。何を置いても歌詞優先というスタンスで書かれた私の歌を、彼は容赦なく突き返し、コード進行を指定し、メロディに合わせて歌詞を変えるよう命令し、声の出し方から日本語の発音まで事細かにチェックし、歌いぐせで流したり、言葉の都合で歌い回しが変わったりすることを一切許さなかった。叱られてばかりで悔しくて泣いてばかりいたけれど、そんな風に堂々と私の歌にけちをつけた人はいなかったので(笑)、とにかく必死でついて行き、そして『flower』は出来上がった。でも、彼が言わんとしていたことを実感として理解出来たのは、皮肉にも『flower』がボツになったあと『Still』を作りに行ったアメリカでだった。言葉が通じず、メロディだけが 共通言語というそれはそれで極端な状況の中で、ひたすら言葉に頼ってきた私はメロディというものに対するバランスをおぼろげながら感じ取ったように思う。ただ、頭で理解することとそれを実践することは違う。今3年を経て『flower』が形になり、あの混乱と発見の日々を思い出しながら、歌は間違っていなかった、私が足りなかったんだ、と、ほっとするような思いで考えている。
 また、「てにはを」にうるさいミュージシャン杉山卓夫の指摘により(笑)、歌詞を、「瞳閉じないで」から「目をそらさないで」に変えた。なるほど、「まぶた」は閉じるが、「瞳」は閉じないのだ。杉山さんは別に歌詞にうるさいわけではないが、こうした日本語のちょっとした使い方を気にする人で、『Vivien』で初めて御一緒した時も、たしか『Always』の歌詞に同じようなアドバイスを頂いたのを覚えている。ミュージシャンでそういうことを言う人は珍しいので、印象深かったし、久々にお会いして、相変わらず申し訳なさそうに「あのさーいいかなー」と言葉の話を始める杉山さんを見て、ああ変わってないなあとうれしかった。でも現場によっては、「余計なこと言うな!って叱られちゃうんだよねえ」としゅんとしていたが(笑)。

ES 「唯一アコースティックピアノではなくエレキピアノで演奏した曲です。リハーサルの時はどうだったか覚えていませんが、イントロとか随分もの悲しいものになってしまいました。僕はとても気に入っているのですが、他の曲と雰囲気が違って全曲を通して聴いてみてもバランス的にもいいと思います」

 東京百歌ではずいぶん何度も歌った歌だが、テンポ感やビートがうまくつかめず、バッキングを変えたり歌い方を変えたり結構悩んでいた歌だった。でも全部解消(笑)。そおか、こういう風に弾けばいいのか!ってかんじで、エレピの音色と共に大お気に入りの曲になった。ちなみにこれもクリックなし。最後のサビ前の「なつかしい・・・」に入るとこだけ歌入れの時クリックを作ってもらった。

F秒針のビート(studio version)
 12月のワンマンで、やり逃げ的に1曲目に歌ったら案外評判が良くて、CD作るよって言ったら「こないだの1曲目入る?」って言ってくれる人が結構いたりしたので、当初6曲の予定を無理矢理もう1曲追加する形でレコーディングした。最初は杉山さんに弾いてもらうつもりだったが、中山に「こりゃ人に弾いてもらって歌う歌じゃねーだろ」と言われ、「やるなら弾き語りで、うんとダイジェスト版でやるしかない」という指示のもと、ワンコーラスとサビくり返しというサイズでstudio versionである。前回のノーコンにも書いたが、これは本当はきちんとリズムアレンジをしたい曲だったし、弾き語りと他の曲とのバランスもあって、とりあえず録ったものの、収録するかどうかは迷った(中山プロデューサーは最後まで反対した)。でも、メッセージ的にぜひこの時期に残しておきたいと思ったので、わがままを通して収録させてもらった。

3.そして、完成へ

 実際のところ、オケ録りに2日間、歌入れとダビングに3日間、TDはなんと1日!という、リハを入れてもわずか8日間のあわただしいレコーディングで、反町くんのツアーの準備で寝る間もない忙しさだった中山は現場にはほとんど顔を出せずじまい。事前に受けた指示をもとに私が現場を仕切り、不安があると電話をかけて遠隔操作してもらうという状況だったので(笑)、杉山さんも大変だったと思うが、エンジニアの小寺秀樹さんにもずいぶん頑張って頂いた。まだ20代後半という若さながら、「俺の秘密兵器」と中山が送り込んでくれた小寺さんは、プロトゥールスを自在に使いこなし、生楽器にもきちんと対応出来、まさに今回のアルバムの影のヒーローだったと私はひそかに思っている。中山の目指した、「歌とピアノという編成でも単なるスタジオライブ的な雰囲気にしない」という上がりのイメージは、中山と小寺さんの信頼関係はもちろん、小寺さんの手腕と、彼が持ち込んでくれたン百万円分の機材なしには実現出来なかったはずだ。忙しいスケジュールをやりくりして快く駆けつけてくれ、数々の無理難題を聞いてくれた挙句、全部終わった時「呼んで下さってありがとうございました! 」と言ってくれた小寺さん。余談だが、レコーディング初日に初めて会って挨拶を交わしたあと、びっくりするような事実が判明した。「あのー実は僕以前にシノハラさんのレコーディングで、アシスタントに付かせて頂いたことがあるんですう」。なんと彼は『いとおしいグレイ』のレコーディングで使ったあるスタジオで、アシスタントエンジニアとして働いていたのだ。なあんだ、縁があったのねえと笑いながら、あの頃のアシスタントがもう一人前か・・・と時の流れをしみじみ感じたシノハラであった(笑)。

杉山 「今回のレコーディングは僕にとってまた1つ大きな自信になりました。そしてやはり歌のもつ説得力というものを再認識しました。本当に楽しいレコーディングでした。LIVEにもぜひ呼んで下さい」

 色々大変なことも多かったけれど、でも本当に楽しいレコーディングだった。私は普段、出来上がった自分のCDをあまり聴かないが(アラばっかり見えて悶絶死しそうになるので)、今回のアルバムはニヤニヤしながら結構よく聴いている。ほとんど歌とピアノしかないのに、聴きながらこんなに人の顔がたくさん浮かぶCDは今まで無かったように思う。ジャケットチームもそうだが、ほんとうに好きな人たちだけを集めて、好きなものを作ったという贅沢な実感がある。新しい羽根を作ってくれた素晴らしいプロフェッショナルたちに、改めて心から感謝と敬意を表したい。
 プロデューサーの中山に「コメント欲しいんだけど」と電話をしたら、笑いながら「かんむりょー!」という返事が返ってきた。おととしの春、契約が切れて動揺する私に、「何にもすんな!へらへら遊んでろ!」と一喝してくれたのが彼だった。あれからもうすぐ2年。私も同じく、感無量。

last up date 2001.3/5
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予定は、未定..

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