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from Miyako Shinohara

Extra Volum

シノハラミヤコのノーコンエッセイ

「行き先はボールに聞いてくれい」第25球
新春新世紀スペシャル『ヒロシとミヤコの言いたい放題』前編
スン・虫がいるんだけど、虫。
シノ・あ、虫だ、虫。今、灰皿の中に入った。
(がさがさいう音)
シノ・なんかうまくいかないなあ。
スン・大丈夫、こうすれば・・・
(がさがさいう音)
シノ・はい、おつかれさまですー。
スン・(CD出すことになって)おめでとうございますー。
シノ・ありがとうございますー。えっとじゃ一応今回は、12/22のワンマンライブ、スントーさんはライブを見てくれて、写真も撮ってくれたので、ま、あのライブについてよもやま話をして頂こうかなと。それから新しいアルバムのジャケットもスントーさんが担当して下さったということで、それについても色々お話して頂きたいなと思います。よろしくお願いします!
スン・どんどんと。
シノ・(笑)。

 というわけで、今回のノーコンエッセイは新春新世紀スペシャル『ヒロシとミヤコの言いたい放題』。グラフィック・デザイナーとして、CDジャケットから、広告、雑誌まで幅広いジャンルで精力的に活躍し(なんてありきたりな紹介文だ!)、篠原美也子に関しては5thアルバム『Vivien』以降すべてのアートディレクションを担当、6thアルバム『magnolia』では、自らナッシュビルに乗り込んで篠原と寝食を共に(?)し、ジャケ写まで撮ってしまった熱血美術監督駿東宏氏をお迎えし、大いに語って頂いた。
 「なんなんだ、こいつ」とご記憶の方もいるかもしれない。12/22のワンマンライブの時、客席から向かって左端の最前列で写真を撮っていたあやしい人物が、何を隠そうスントーさんその人である(シャッター音が以外に響いて、どきどきしてたらしい)。
 ニューアルバム『新しい羽根がついた日』のアートディレクションも、自ら名乗り出るようにして引き受けてくれたスントーさん、実は篠原も真っ青の「しゃべり倒し」の人である。寄り道近道回り道は当たり前のふたりのトークバトルが行われたのは、レコーディングがひと段落した1月下旬、場所はスントー事務所にほど近い代官山のカジュアルなイタリアンレストラン。冒頭のメがさがさいう音モは、録音用のマイクを、テーブルの上の紙ナプキン立てにくくりつけようとしている音である。
 予想にたがわぬ具がたっぷりのスペシャル対談、大巨編のため前・後編に分けさせて頂いた。腰を据えて、じっくり読み込んでくだされ!

スン・ちゃんと入ってる? なんか心配になっちゃうんだよね。
シノ・うん大丈夫。(レコーダーのディスプレイを見て)レベル振ってるから。
スン・一回ね、僕ね、インタビューしたんだけど、RECされてなかったのよ。
シノ・まじっすか。
スン・でもね、その時、質問事項をメモ書きしたやつがあって、全部答えを覚えてたんだよね、何となく。
シノ・へええ。
スン・無けりゃ無いで、結構覚えてるもんなのよ(笑)。

 ここでお通し到着。ゆでた長ねぎをドレッシングで和えたもの。うまかった。

スン・食べ物いちいち解説するのいいよね。
シノ・うん、いい(食べるのに忙しい)。
スン・目に見えたものを言うとか。
シノ・うんうん(どちらかと言うと食べるのに忙しいが、テーブルの上のアンティーク風のスタンドを指して)このスタンドはなかなかかわいらしい。
スン・ウチに来てもらってわかったと思うんだけど、僕結構アンティークものって弱いのよ。モノは機能的でなければならないって考えで。車もデザインより、優秀なマシンってことが大事。

 去年の年末、『Vivien』でお世話になったカメラマンの松本康男さん、スタイリストのはたきみえさん夫妻に、スタイリストの平野京ちゃんも加わったスントー家の宴会に、話を聞きつけた私も押しかけて、初めてスントーさんちにお邪魔した。なるほど、シンプルだけどがっちりした家具が多かったっけ。でも私はなんたって、トイレが広いのに一番感動したけど。

スン・例えば画材でも、デザイナーって結構凝ったりする人いるんだけど、全然凝らない。
シノ・機能性重視。
スン・そう。色気無し。遊ぶなら、仕事の中味で遊ぶのが好きだな。だから仕事であれやっちゃ駄目これやっちゃ駄目って言われると、人間がすんごいちっちゃくなっちゃう。
シノ・(笑)。
スン・もうほんとやんなっちゃう(笑)。
シノ・(げらげら笑う)。
スン・何が楽しいのかねえ。自分で仕事してて、自分で決めて、自分のやりたいようなことを、やりたいようにやるのが好き。で、出来ればやりたいだけやるのが好き。

 そりゃ誰でも好きだわさ、と思わず突っ込みを入れたくなるお言葉。しかし、このわがままっぷり突き抜けっぷりがあるからこそ、スントーさんは単なるアートディレクターに留まらないのであり、だからこそこの人はいまだにシノハラミヤコなんていうポンコツシンガーに大いなる興味を抱くのである。
 ここでシーザーズサラダ到着。パルメザンチーズの香りと、カリカリのクルトン。私の大好物のサラダである。うまかった。

スン・基本的にあんまり人の話聞くの好きじゃないんだな、きっと。

 知ってる。

スン・例えば色んな人をインタビューしても、話聞きに来たって言うよりも、自分がその人に話したいことがいっぱいあってやってるって感じ(笑)。
シノ・そう、わかるわかる。スントーさんそういう感じ(笑)。
スン・自分が話したいだけ話したら、とっとと帰るとか、寝ちゃうとか。
シノ・(スントーさんち行った時まさにそうだった、と思いながらくすくす笑う)。
スン・最初はライブの話でしょ。

 おお、やっとたどり着いた!

スン・あのライブについてなんか語るっていうよりも、まあなんだかんだ言って3、4年付き合ってるわけで・・・
シノ・もっとですよ! いや、あれ、『Vivien』は96年だっけ(リリースは97年だが、制作は96年)。ああやっぱりそれくらいですかね。
スン・4年くらいかな、もう。で、やっぱりモノって流れがあるから、時間的な。あのライブで思うのは、そういう時間の流れが非常によく出てたライブだったなと。
シノ・なるほどねえ。まあ一応総ざらえって感じでしたし。
スン・まあ、冷静にファンから見れば曲目的にはそうだったと思うんだけど、僕はその、まずファンでありきって言うよりも、仕事仲間で、戦いの歴史みたいなものがあるわけ。
シノ・あるある(笑)。
スン・例えばライブの中にも、ほんのちょっとこう、エムエスアーティストと契約してた頃の名残りなり、自分が小さい時にピアノを始めた時の断片であり、それから、メジャーからひとりになって、こう、何か踏ん切った流れがあって、それでふと気が付くと自分が作って行った曲との間にメ間モみたいのがあったり、おお充実してるじゃない!っていうのを感じながら聴いてた。

 いわしの香草焼きとガーリックトースト到着。香ばしく焼かれたいわし。たっぷり添えられたトマトソースは、ガーリックトーストですくっていただく。うまかった。

スン・だからね、なんか、曲がどうのこうのとか、ライブの出来がどうのって言うよりも、僕がライブで好きなのは、そこにあるハプニングなんだよね。
シノ・ふんふん(食べるのに忙しい)。
スン・ミュージシャンがよく、今日のライブは良かったんだよねって言うんだけど、それにはあんまり関心が無くて、どっちかって言うとコンディション悪くても、一所懸命やってるような、そういう土壇場の力わざ見るのが好きなの。エンタテイナーとしては不本意かもしれないけど、ライブってのはさ、どっかで記録できないものの何かってそこにあるわけじゃない。
シノ・うんうん(口の中にいわしが入っている)。
スン・あと、こないだひとつ発見したことがあったのは、時代と声って言うのかな。レコードが売れる時、声質のサイクルが世の中のニーズに合うっていうのは大きいと思うのね。で、こないだ聴いてて、篠原美也子の声はこれから合うかもよって思った。
シノ・あっそう! それはなんなんだろう? なんか、匂いとか?
スン・うーん、なんか響きがいいっていうか。今の時代に、メジャーで聴けない声質があったっていうかさ。だからぜひ頑張ってもらって、この充実した、やる気になってる感じを、みんなの力をうまく利用して、ライブで見せるだけじゃなくて、いいレコード作って欲しいなって思う。
シノ・そうっすよねえ。あたしもね、一回吹っ切っちゃった部分とかがあるんで。おととしの春に契約が切れて、しばらくプープーしてましたけど、とりあえずは自分がメインで物事が進むっていうことは、もうあんまり、イメージしづらいなって思ってた。でもまあ音楽は好きだから、人に曲を書いたり、なんか携わって行けたらいいなってところにいて、で、ひょんなことからライブやったら盛り上がっちゃったって感じで、一回抜けちゃったのが良かったのかもって思ったりしましたけどね。
スン・いかにもミュージシャン的な物の尺度ではあるよね(笑)。
シノ・うん、そう思う(笑)。
スン・世の中で言う音楽家としての成功者って、まあ売れる売れないで言うと、時代に合ったいいレコードを作ってるっていうことで、それとライブに人が来るっていうのは全然別のことなわけでしょ。もっとドメスティックで、その町の特徴みたいなもんだと思うんだよね、ライブは。それこそナッシュビルとか、いいライブやっててもレコード売れないバンドとかいっぱいいると思うよね。やっぱ、レコーディングとライブは全然別でしょ?
シノ・うん、全く別物。でもあたしの場合、メジャーの時はとにかくライブやれなかったんで、年に一回くらい、アルバムが出た時やるっていうのが、まあ、あたしの中では当たり前のサイクルみたいになってたし。
スン・そう、だから前はね、こんだけライブの好きな人だって見えなかった。
シノ・あーそうかあ。
スン・こうやってやっちゃう人なんだなあって。ピアノだって弾いちゃう人なのかどうかもわかんなかったし。
シノ・そうですよねえ。スントーさん、弾き語り見たのも初めてだったですもんねえ。
スン・うん。正体見たり、って気がした。
シノ・ばれた!って感じっすかねえ。
スン・でもね、今思うとその断片に気付いたのって、あの、カンノさんの時にいきなり歌ったじゃない。パーティの時。
シノ・はいはい。
スン・あれって考えてみるとやっぱりそういう、一種大道芸的な感じだよね。ああいうとこで歌わない人だと思ってたから。あたしを誰だと思ってんの!?みたいな(笑)。
シノ・そ、そんな(笑)。

 今回『新しい羽根がついた日』のジャケ写を担当して下さった管野秀夫さんとの出会いは、97年の夏、幻のCD(他2曲収録のマキシシングル、になるはずだった)『flower』のジャケット撮影だった。楽しい撮影で、写真のあがりも素晴らしく、今でも思い出せる写真が幾つもあるのだが、ジャケット撮影までしたにも関わらず、土壇場で『flower』は結局お蔵入りとなり、私はその後ナッシュビルシリーズへと迷い込んで行くこととなる。カンノさんとの仕事は世に出ることなく終わったわけだが、巨匠に似合わぬ気さくな人柄のおかげで、その後もお付き合いが続き、「東京百歌」にも何度か来て下さった。
 スントーさんの言うメパーティモというのは、98年の夏だったと思うが、池袋パルコのイベントスペースで開かれた、カンノさんがそれまでに手がけたアーティストの写真を集めた「ジャケットコレクション」とでも言うような写真展のオープニングパーティでの出来事。司会進行を担当したスントーさんから「なんか歌って」と頼まれた私は、大盛況のパーティでアカペラで『風の背中』をワンコーラスだけ歌った。

シノ・でも自意識過剰なんで、結構踏ん切るまでに時間かかったりするんですけど、あの時は今考えるとちっとも抵抗なく歌ったなあ。
スン・いや今回(『新しい羽根が・・・』のジャケ写)撮ってもらうのに、あの印象度高かったみたいよ。
シノ・ははあ〜。カンノさん今でもあの時のこと言ってくれるから。
スン・だって時々酔っ払うとね、「シノハラさんいい人だ。あの時歌ってくれたから」って(笑)。
シノ・ハハハ、なるほどねぇ。そんな所であたし点数稼ぎをしてたんだ(笑)。
スン・うん。
シノ・よかったあ、歌って。
スン・ま、言ってみりゃ武器だもんね、最終兵器的な。
シノ・て言うかね、あのー去年ずっとやってたライブもそうだし、今回のレコーディングにしてもそうなんですけど、結局あたし、歌うしか出来ないわけね、基本的に。
スン・曲作ってね。
シノ・うんそう、曲作って歌うしか出来ないわけで、それでもう精一杯なんですよ、自分的には。例えばいまどき自分で打ち込みをしてちゃんとアレンジも出来る人とかたくさんいるし、もっとこう絵心があったり写真も撮れたり、そういうマルチな人とかもたくさんいるじゃない? もし自分がそうだったら、ライブのやり方とか絶対変わっていたと思うし、CDを作りましょうってなってもまた形が違ったと思うのね。でも結局あたしああやって弾き語りでライブをやりながら、もうこれが自分の中では完結してる形だって言うか、自分のポテンシャルの最大だっていう気がしてて、で、その上で何かやろうってなると、逆に絶対たくさんの人の力を借りなきゃなんない。でもそれがよかったなあって。まあ皆さんにはあれだったんですけど。
スン・あれって何。あれじゃわかんないんですけど(笑)。
シノ・いやだからそのまあ色々ご迷惑とか、あれですよっ(笑)。
スン・でもね、考えてみると、最近はひとりでライブをやって、今回のジャケット作りだって全部自分でコーディネーションやって、全部ひとりでやってんじゃん。色んなこと出来るんだよ。
シノ・そーなんですかねー。苦手なんですよほんとに。

 ひとりでやってると言いながらも歌う以外は人間失格の私ゆえ、ライブにせよCDにせよ結果的にはたくさんの人の力を借りることとなったが、ま、にぎやかな方が楽しいし、久々にみんな集まれるし、何にも出来なくて良かったわあなどと実は呑気に考えたりしていた。しかし、ライブは完売、さあCDだ!と言ってみたところで、私がフリーランスであることに変わりはない。ライブはともかくCD制作となると、何をするにもそれぞれに直接連絡をとらなければならず、それぞれも私に直接連絡をとってくる。今回ジャケット撮影に関しては、ブッキングからスケジュールの調整、打ち合わせ、お金の話、撮影当日の進行、お弁当の手配まで、マネージャーってえらいのね・・・とつくづく思い知りながら、何とかかんとかひとりでやり遂げた。もちろん、気心の知れたメンツだったからこそなのだが、スントーさんはアートディレクションのクレジットに、何も言わずに私の名前を加えてくれた。恐縮しつつ、感謝。

スン・でも、17才から(音楽)やってたなんて知らなかったなあ。
シノ・そうだよねえ。
スン・そういうの知らなかったからさあ、なんか言い方悪いんだけど、ストレートで、お嬢さんがピアノ習ってて、ちょっと上手くて歌も歌えたからって感じでラッキーに来れた人かなあって思ってたのよ。
シノ・高校3年生でライブハウスに出始めて、19からひとり暮らし始めて。
スン・そういう苦労な顔に見えないんだよね(笑)。
シノ・いやもう年なので、かなり厚くなって来てますから。
スン・そりゃ別な意味なんじゃないの(笑)。
シノ・(笑)でもその頃ライブハウスで知り合ったミュージシャンの卵たちって、みんな地方から来てて、そういう仲間と遊ぶようになって、あたしその頃実家にいたんですけど、これはいかん!みたいにすごい力んで(笑)ひとり暮らし始めたりしてました。
スン・ふーん、全然そういうのわかんなかったな。やる気があんのかどうかもわかんなかった。
シノ・(爆笑)やっぱね、スントーさんと初めて、だから『Vivien』をやった頃、とっても過渡期だったので、自分の中で。
スン・ああそうだろうねきっと。でもそれがわかんなかったからさ。
シノ・すごい、なんか、混乱もしつつ、新しいことをしたいっていう気持ちもありつつっていう時期だったと思う。そのあと、ナッシュビルもすごい楽しかったんですけど、やっぱり自分的にはとても混乱してた。
スン・そうだったんだろうね、今考えると。でも、あんときそう言えちゃうとよかったよね。
シノ・そう、そうね、そこはね、もう、何て言うのかしら、終生の悔いだったりしますね。あんときに「なんか違うんだよね」ってどうして言えなかったんだろうって。
スン・でもそれは音楽でうまく行った時に、じゃあもう一度ナッシュビル行っちゃおう!みたいなことが出来るかもしれないしね。
シノ・ほんとね。でもだから、あの『magnolia』っていうアルバム、全然嫌いじゃないんだけど、やっぱその時の自分の精神状況みたいのがあまりにも悪かったので、なんか辛いアルバムなんですよね。
スン・なるほどねえ。やっぱりね、やりたいことをやりたいようにやりたいだけやるっていうのが鉄則なんだよ。
シノ・そうっすよねえ(笑)。
スン・そういう意味で、わがままでいいと思うんだよね。こと音楽家が音楽に対してみたいな場合。
シノ・うんうん。でもあの最後の頃、もう自然にそういうことが出来なくなってた。自分では必死に色んなことやってんだけど、すごい汲々としちゃって。

 イカの墨煮到着。これまた私の大好物。うまかった、のだが、家に帰って鏡を見たら、ほっぺたに黒い点々が飛び散っていた。とほほ。

スン・ライブって、どっかでその人のわがままを見に行くんだよね。その人がやりたいことをやってるわけだからさ。
シノ・(イカ墨のソースをたっぷりつけたガーリックトーストをばりばりかじりながら)ふんぐ。
スン・気を遣ってるとことのバランスってちょっとあるじゃない? 僕があの時(12/22)思ったのは、あの時喋りが30分以上あるんだよね、延べにすると。
シノ・多分ね、そうなんですよ。全体で結局2時間45分くらいあったのね。それで、ライブの前にリハーサルスタジオで、曲だけ、19曲並べて録音してみたら、それだけで2時間あって、こりゃあ2時間半コースだなって言ってたから、3、40分は喋った。
スン・貰ったビデオ見てたら、長いとこは15分ぐらい喋ってんだよね。
シノ・あっそおお! よく喋りましたあ。
スン・でもそれも気持ちいいんでしょ?
シノ・うん!すごく気持ちいいの(笑)。
スン・僕がプロデューサー的な見方をしたとすると、例えば、喋りの代わりにヴァイオリンが一曲入っちゃうとか、もっとドラマチックな仕立てにすることちょっと思ったな。
シノ・風景の変え方ね。

 確かに、12/22はよく喋った。
 元々私の「喋り倒し」は強迫観念から来る逆ギレみたいなもんで(生放送のラジオを長くやってしまったせいかもしれない)余裕のなさの表れだったりするのだが、あの日は喋りながらなんだかひどく贅沢な気分になっていた。前にどこかで誰かが、縁までお湯をためた湯舟に入って盛大にお湯があふれるのを見る時が一番贅沢な気分、と書いていたのを読んだことがあるが、まさにそんな気分。久々のワンマン、駆けつけてくれたお客さんたちを前に、一秒一秒がこんなに惜しいと思えるのは久しぶりだと思いつつ、その貴重な時間をじゃんじゃんあふれさせる贅沢に、私はほとんど陶酔していた。
 ペンネのゴルゴンゾーラソース到着。私はパスタの中では実はラザニアが一番好きなのだが、この青かびチーズたっぷりの定番ペンネももちろん大好き。ワイン飲みながらつつくのにちょうどいいもんね。うまかった。

スン・でも長いライブで、喋りも長かったけど、みんなちゃんと聞いてて偉かったなあ。
シノ・まあね。ほんとにもう、そういう意味では・・・
スン・「知ってる」人達だもんね。
シノ・そう。スントーさん最初に言ったように、それぞれが時の流れって言うか、篠原美也子ヒストリーを持ってる人達だったんで、許してもらえたんだと思いますよ。
スン・だからああいう場とあともうひとつ、知らない人達に向かって歌って行くっていう、2つの場面が必要だよね、きっと。
シノ・そうねえ(笑)あのー何て言うのかな、やっぱりもうそれはCDも出すんだし、ある程度パブリックなことを考えながらやるべきだろうっていうのはあって、でも、去年とかはねえ、いいじゃん別にこうやって毎月好きな人達が集まればっていうのをほんとは思ってた。
スン・ふんふん。
シノ・もっとこんな曲を書くべきだとか、それこそポピュラリティの問題の中で、もうちょっとアピールのあるものを歌うべきではないかとか、多分そういうことを言いたかった人はたくさんいたんじゃないかと思うんですけど、全然耳を貸すつもりなかった。ああやって渋谷nestで毎月ライブやれたらそれでいい、それだけで充分幸せだって、去年の夏ぐらいまではすごい思ってたの。それが予想外に話が大きくなったっていうのが正直なところで、じゃあワンマンやりましょう、CDも作りましょうっていう話が夏ぐらいから出始めて、まあ誤解を恐れず率直に言うと、これはちょっと面倒なことになったって(笑)思ったりもしました。
スン・(笑)。
シノ・そうやって人が関わってくれば、必ずリクエストが生まれてくる。良い意味でも悪い意味でも。もうそういうのやだって、すごい思ったりもして(笑)、そういうのさんざんやったから、もうそういうのがないとこで歌って行きたいとか、思っていたりしました。 

 誤解を恐れず、再び言う。私にとって今最大の問題は、自分をもう一度パブリックなものとして考えることが出来るかどうかということなのだ。
 ある意味2000年の篠原美也子は、非常にプライベートなものだった。そのようにして音楽と関わるのは私にとって初めてのことだったので、それは私に驚きと新鮮な喜びをもたらした。メジャー時代水戸黄門の印籠のようだった「いいけど、それじゃ売れない」という言葉が何の意味も持たなくなったという事実に、歌うことへの情熱は息を吹き返し、私は喜びとしての音楽を取り戻した。しかし皮肉なことにその充実感は、私を再びパブリックな世界へと導く第一歩でもあったのだ。
 8月のライブの自問自答で、私はその戸惑いを「レッスン1からレッスン2へ」というような言葉で表現している。メジャー時代の最大の敗因は、「パブリックなもの」と「自分自身」との距離感を誤り、「ひとりでも多くの人に」という愚かな大義名分に振り回されてしまったことだ。好きな歌を好きなように歌うことでようやく再生しつつあった私には、いったん解放されてしまった歌を手元に集め直して、カードを切るように効果的に使うという、昔は当たり前だった作業が、精神的にも肉体的にもひどくしんどく思えた。そして、そんな風に思う自分にまた驚いたりもしていた。

シノ・結局メジャーでやってる時って、もう何とかして知らない人達にアピールして行こうって、さんざん色んなことやって色んなことやってアメリカにまで行って色んなことやった挙句、最後みーんな力尽きたっていうことだったんで、ま、それはそれでひとつの結果として受け止めてるんですけどね。だからライブ始めたときは、もう歌えるだけですごい満たされてて。
スン・でもひょっとしたら、それって、誰の為に歌ってるのかってことが、まだモノ探しだったりするんじゃないの? 自分の知らない何かをどっかで出してみたいって、思ってるんじゃないかと思うんだよね。
シノ・そうね、そうかもしれない。そういうことも含めて、何の為に歌うのかとか、自分の中のバランス、舵取りが、去年は難しかったなあって思いますね。じゃあ、やって、それでどーなんの?!とか言う意地悪な自分もいたし(笑)。
スン・ま、それはやってみないとわかんないよね。例えば、ビヨークみたいにやる手もあるしさ。
シノ・(笑)。まあ、夢があった方がいいじゃんか、みたいな。
スン・夢って何なの、夢って?
シノ・うーん、そうね、去年nestでやってました、じゃあお客さんたくさん入るようになってきたから今年からはWESTに格上げしましょう、じゃあ来年の今頃はEASTを満杯にしましょう!みたいな、そういうことが出来るかもしれないって思うこと。で、まあCDを作って、これがまた予想外に売れちゃうかも!とか思うこと(笑)。
スン・楽観的だねえ、やっぱり。いや、それでいいと思うよ。ただ、自分の力はさ、例えば今まで聴いて来たミュージシャン達の所まで、ほんとはもっと行けるはずだとか思わない?
シノ・うーん。
スン・僕なんかそういう風に思ってるよ。このままじゃ終わらないぞ!みたいな。大統領選に出馬するとかに近いくらいの(笑)、ま、自分なりのやり方の中で、一応いつ死んでもいいようにはしときたいなと。
シノ・なるほどねえ。でも、あたし多分あんまりない(笑)。去年の一連の出来事やCDや、また春にかけてわーっとライブありますけど、そういうのも、あたしがやりたいって言ったんじゃないもんねーみたいな(笑)。
スン・(笑)。
シノ・老兵は去り行くのみだって、いつも基本的には考えてて、でも、引っ張り出される老兵っていう形は気に入っている(笑)。しがみついてるって思われるのだけは嫌だったから。それはあたしのプライドの問題でもありますけど、やるのが嫌とかじゃなくて、やりたいやりたい!CD出したい出したい!っていうのは美しくないって思ってて、それくらいならやめますって気持ちで。
スン・うんうん。
シノ・でもそしたら予想外にみんながやりなさいって言ってくれたので、じゃあやらして頂きますって感じです。
スン・やらして頂きますじゃないでしょほんとは。やってやる、でしょ(笑)。
シノ・そう(笑)そこまで言うならやってやる!(笑)。
スン・でもさあ、そのわりに謙虚だから、ちゃんとやっちゃうわけだけどさ(笑)。
シノ・いやそんなことないんですけど、今年からはいよいよCDも出るので、これからはやっぱり、やりましょうっていうか、やります、頑張りますっていう気持ちに・・・
スン・どっちなんですか(笑)。
シノ・・・・ならなきゃいけないなーと、思ったりします(笑)。

 ワンマンのアンコールのMCを繰り返させて頂く。
 もう自分が歌うことに関して夢を見るのは終わりにしようと、ほんの1年前は思っていた。「東京百歌」に出ることになった時も、これでいずれワンマンをとかCDをとか、誓って言うが私自身は一切考えていなかった。それが思いがけずこういうこととなり、戸惑いながらも、もう一回だけ夢を見ちゃおう!と決意するに至ったのは、もちろんファンの皆さんを始め、多くのスタッフやスントーさんのような懲りない友人達のおかげである。
 空に届かないからと言って、別に空を見上げて悪いわけはないのだ。手を伸ばすためではなく、手を振るために見上げる空の、なんと青いことか。これは私にとって、新しい夢のかたちなのである。

スン・僕はね、弾き語りっていうのは、(シノハラの)ルーツだとは思うけど、なんかもっと巨大になって行く自分の姿を試しちゃうって言うか、行くとこまで行ってやろう、自分を遊んでやろうっていう人だと思うよ。そのわがままの具合から行くと、まだ遠慮しちゃって、自分の中で消化出来ない何かがさ、もっと滅茶苦茶やったらとんでもないとこ行くでしょ、きっと。
シノ・そうねえ、素材でいいって感じはありますね。弾き語りやって空間が増えた分、可能性も増えたと言うか、やれることはたくさんあるんだって再確認するみたいな部分はあった。
スン・いや多分ね、自分の知らない何かって、まだあると思う、きっと。そう、僕ライブ見ててひとつ気が付いたんだけど、歌色々あって、詞があってメロディがあって、でも言ってることはひとつだと思った。
シノ・うんうん。
スン・だからね、曲がみんな同じに聞こえるとことかがあって、まだまだ違う角度から見た自分がいるんじゃないかなあって思った。
シノ・ほら、スントーさん撮影に関してよく言うじゃないですか、「篠原美也子のパブリックイメージを、もうひとつ踏み越えたところ」って。ああそうだなっていつも思うんですけど、そういう部分が音楽にもあるんですよね。
スン・うん、あると思う。まだね、篠原家の長女の顔のまんまなんだよね(笑)。
シノ・(笑)なんかね、自分でも持て余す律儀さみたいなのがあるんですよ、性格的にね。
スン・例えば、自分のショーを壊すようなやからが急に乱入したとして、あたしのショーなのよ、ぶっ壊さないで!って言うか、まいっか、なんかやってみる?って言うかの違い。
シノ・そうだよねえ。
スン・そういう風に言ってくれたミュージシャンて何人かいますよ。一回ね、僕がハーモニカやってるって言ったら、GLAYが誘ってくれたことあんの。
シノ・GLAYが?
スン・一緒にレコーディングやんない?って。やんなかったんだ僕。あれやりゃあよかったなあ。
シノ・そうだよ、やればよかったのにい! 絶対ほんとにちゃんと収録されたよ!

 ずっと、不良になりたかった。
 中学時代、制服のスカートを長くしてみたり(あたしの時代はそうだったの!)、内緒でパーマをかけてみたり、こっそり煙草を吸ったり、でもなり切れず、担任の先生に「シノハラはぎりぎりのところであっち(悪い方)に落っこちそうになるけど、落っこちない」と言われた。あたしは、落っこちたかったのに。
 高校時代、学校が嫌いで、遅刻ばっかりして、ずいぶん休んだりもしたけど、「試験なんて!」と言いながら単位を落としたり留年したりする度胸はどこを探しても無くて、いつもこっそり一夜漬けしてはしのいでいた。
 太宰治のだらしなさに憧れて、岡本かの子のエキセントリックさに心酔して、山田詠美の奔放さが欲しくて、尾崎豊の激しさにつられるようにして歌い始めたが、今思えば歌を歌うということは、当時の私にとってなりきれない自分の小心さを打破するための、一世一代の大勝負だった。
 歌を始めたことで私はずいぶん解放されて、いっぱしにやさぐれた振りをしていたけれど、挨拶の出来ない人やご飯の食べ方の汚い人にどうしても我慢出来なかったし、やっぱりはみ出し切れない自分に苛々していた。
 スントーさんは初めて会った時から、私のそういった行儀の良さや、臆病さの裏返しである生真面目さのカラを何とかしてぶっ壊して、その向こうにいる生の篠原美也子を引っ張り出そうと腐心していた。私にも十分にその意図は伝わっていたものの、結局メジャー時代の私は「世間にこう思われたい篠原美也子」という期待に応えたがり優等生のイメージから脱却出来なかった。それが、この対談の最初の方に出て来る、私とスントーさんのメ戦いの歴史モである。
 はからずも今しがらみから解き放たれた立場となり、そんな私を見てスントーさんは、今度こそ色々な意味で生のシノハラを見られるんじゃないかと期待してくれているんだと思う。
                                      【後編に続く】

last up date 2001.2/10
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