とんだ茶番に終わった、加藤紘一の乱。そして、あきれるを通り越して、もはや痛ましさすら漂わせていた騒動に更に花を添えてしまった、伏兵松浪健四郎の“水ぶっかけ事件”。
野党議員が次々と演壇(て言うのかしら?)に詰め寄り、議場が大混乱に陥る中、森喜朗は騒ぎを横目で見ながら、笑っていた。それは、微笑でも苦笑でもなく、明らかに、嘲笑、だった。
それまで寝転がって、やんやとばかりにテレビを眺めていた私だったが、その笑い顔を見たとたん、我知らずカッと来て、思わず座り直した。
一体何がおかしいんだ、あの男は。
出来ることならその場に飛んで行って、襟首をつかんで言ってやりたいと思った。こんな騒ぎ、元はと言えば誰のせいだと思ってんだよ、このタコ。
自民党の石井とか言う国会議員が、深作欣二監督の『バトルロワイヤル』に対し、「青少年に悪影響を及ぼす映画だ」と文句をたれているという。
「こういう有害なものは、法律で規制するべきだ」とか何とか、21世紀を目前に何ともクラシカルなお言葉、じゃあ、エルロイや花村萬月の小説、ついでに叶姉妹も取り締まった方がいいんじゃないのお、と野次のひとつも飛ばしたくなる(水をかけられるかもしれない)。
少年犯罪が何かと取り沙汰される昨今、中学生が無人島で殺し合うという内容がお気に召さないらしいが、ちゃんちゃらおかしくって聞いてらんない。
いわゆる世相的なものを、あらゆる角度から見つめて、独自の世界観と視点で切り取って表現しようと試みるのが芸術というもんである。物事は必ず多面体であるので、例えば『禁じられた遊び』のように、戦闘シーンがほとんど皆無にも関わらず、強烈な反戦映画となる作品も存在する。私は『バトルロワイヤル』を観ていないので、内容については何とも言えないが、そんなもんは観た人がそれぞれ何か感じるなり感じないなりすればいい話。映像、美術、文学、音楽、すべての芸術は鑑賞者の想像力に「期待」するものでなければならない。議論はいくらでもすればいいと思うが、それを権力や法律で頭ごなしに取り締まろうとすることこそ、危険思想以外の何物でもない。
そもそも「青少年に有害」なものって、一体ナンなんだ?!あたしに言わせりゃ、国会の茶番劇の方がよっぽど有害だわさ。結局今どきの子供たちにとって一番有害なのは、今どきの大人たちで、その大人たちが造り上げた「今どきのご時世」の中で、子供たちはまるでつんのめるように大人になることを余儀なくされてるだけなんじゃないか?
もはやパンドラの箱は開かれてしまった。作品としての良し悪しはともかく、深作監督はきわめて挑戦的(あるいは挑発的)に、現代のある側面をラディカルな視点から描こうとしたにすぎない。
いずれにせよ、ぎゃあぎゃあ騒いだおかげで『バトルロワイヤル』は一躍注目の映画となり、配給会社は今頃万歳三唱してるぞ、ということに気付かない愚かしさもさることながら、子供に限らず私でさえ「キレ」そうになるのは、あんたたちのその「見え見えぶり」なんだよってことに、どうして彼らは気付かないんだろう?
と、珍しく(もしかして初めて!?)スポーツ以外のネタでつらつら書いてみた。
かくのごとく世間は騒がしく、移り変わって行くようでもあり、とどまっているようでもある。
その渦の中で、私も変わって行くんだろうか、それともとどまるんだろうか。
どちらでもいい、と思う。
11月25日の夜、ワンマンのチケットが即日完売したとスタッフが知らせに来た時、私はいつものようにNESTのPA席で、自分の出番を待つ間ライブを見ていた。
会場には歌声が響き、ライトに照らされたステージと、そのせいで黒いシルエットになったお客さんたちの後ろ姿が見えた。
そう思った瞬間に、もう次の場所へ行かなければならないとわかっていたけれど、その時間違いなく、私は世界でいちばん幸福な人間だった。世間や時代がどこへ行こうとも、あたしはここにいる、と、叫び出したいような気持ちで思った。そして、そう思うことを自分に許してあげようと思った。
変わって行くもの、とどまるもの、すべて。笑いたいやつは、笑え。
心からの感謝が、どうか届きますように。ありがとう!
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