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TVのドキュメンタリー番組のワンシーン。
畑山にKOで敗れた10日後、プロボクサー坂本博之は、かつて自分が育った福岡の施設を訪れた。チャンピオンベルトを、という約束を果たすことが出来なかった坂本に、子供たちが一斉に駆け寄る。その中のひとりの男の子が、ごめん、というように胸の前で合わせた坂本の手を、伸び上がるように自分の両手で包んだ。そして、言った。「大丈夫?」
大きな体に似合わず、坂本博之の手はとても小さい。4度の世界戦を闘い、傷ついたその手が、更に小さな手で完全に癒された瞬間。おいおい出来過ぎだろーがと思いつつ、やっぱり泣いてしまった私でありました。
・・・と相変わらずスポーツネタで始まってしまったが、今回は趣向を変えて、お前らパソコンばっかいじってないでたまには本読めよシリーズ第2弾(前はミステリー特集だった)、秋の夜長にじっくり読む、シノハラリコメンドブックスを紹介するぜ!
1.「ホワイト・ジャズ」ジェイムズ・エルロイ(文春文庫)
誰が何と言おうと(別に誰も何にも言わないが)とにかく今私は重症のエルロイジャンキーである。「ブラック・ダリア」に始まり、「ビッグ・ノーウェア」「LAコンフィデンシャル」と続く“暗黒のLA4部作”の最終章であるこの作品、主人公の1人称で語られるが、めまぐるしく変わるシーン、入れ替わり立ち代わり現れる登場人物、極端に短いセンテンスを多用し、セミコロンやスラッシュなどの記号を駆使した独特の文体、読みづらいことこの上なく、読めば読むほど混乱の淵に突き落とされていくようにすら思えるのだが、気が付くとどうしても本を閉じられなくなっている。制御不能。もはや堕ちるところまで堕ちるしかないというめまいに似た興奮。心臓が痙攣するような、何という甘美な絶望、めくるめく暴力衝動、血まみれで疾走する魂。この作品は、この作家は、明らかに常軌を逸している。そして今これを書きながら、この作品を思い浮かべるだけで、私もすでに常軌を逸し始めている。現代ノワール、現代アメリカ文学の金字塔「ホワイト・ジャズ」。やはりエルロイジャンキーで、すさまじいあとがきを書いている馳星周氏の言葉を借りれば、この小説は現代に対する、呪文、
である。
2.「冬の旅」立原正秋(新潮文庫)
非行とは全く無縁だった主人公は、ねじれた性格の義兄から母親を守るため傷害事件を起こし、少年院に送られる。そこで出会った非行少年たちとの交流と、主人公の心の動きを、淡々と、しかし一貫してあたたかいまなざしで描き、非行(少年犯罪)とは何かを問いかける力作。端正ながら濃密な恋愛ものが多い立原作品の中では異色作で、昭和44年発表の古い作品だが、少年という普遍性は今読んでも充分共感できる。
おりしも少年法改正が進む現在。厳罰も結構だが、その前に、被害者にきちんと情報を公開し、加害者にしっかり罪を認識させるシステムの必要性を強く思う。
3.「食卓のない家」円地文子(新潮文庫)
引き続き時事ネタになるが、日本赤軍最高幹部の重信房子が逮捕された。ある種の感慨を持ってニュースを聞いた人たちも多かったんだろうと思う(さすがにあたしは記憶にないわよ!)。
「食卓のない家」は、72年の連合赤軍事件を下敷きにしながら、70年代という時代の匂いと共に、家族、を描いた小説である。主人公の長男は学生運動に加わり、リンチ虐殺事件、立てこもり事件を起こして逮捕される。世間が騒然とする中、主人公は、息子は息子の、自分は自分の生き方があるという考えを貫き通し、他の犯人たちの家族のように世間に対し謝罪することもなく、仕事をやめることもなく、裁判にも関わらず、マスコミの取材にも応じない。一家は激しい糾弾にさらされ、家族は崩壊して行く。信念という共通のファクターをはさんで初めて向き合う父と息子。三田さんちのおとーさん、武さんちのおとーさんのいわゆる、謝罪会見、を見ながら、ふとこの小説のことを思った。
4.「驟り雨(はしりあめ)」藤沢周平(新潮文庫)
昔から戦国ものが好きで、秀吉もの、信長ものなど手当たり次第に読んでいたのだが、いわゆる時代小説、しかも市井ものとなるととんと縁がなく、山本周五郎の「赤ひげ」を読んでみたものの、なんか説教くせえなあと馴染めず、それきりになっていた。ある時知り合いと酒を飲んでいて、「藤沢周平を読んだことがあるか」と聞かれ、ないと答えると「それはいかん」とその人は自分のカバンから文庫本を取り出し、「持って帰って読んでみろ」とその本をくれた。それがこの「驟り雨」である。読んで、驚いた。何となくイメージしていた市井もののべたついた感じが全くなく、すっと伸びた背筋を思わせる語り口、決して饒舌にならず、スパッと切り捨てるような話のしまい方の潔さに、文字通り一気に読み終えた。きれいごとではない庶民の哀歓(とか言われると読む気なくすでしょ)を、下世話さに流さずほどよい抑制を持って描き出す藤沢作品は、まさしくきりっと冷やした吟醸酒の深い味わいなんである。
5.「ちりめん三尺ぱらりと散って−俳優金子正次 33歳の光芒−」生江有二(文藝春秋)
さっき書いた、藤沢周平を読めと私に勧めたのが、生江さんである。ひょんなことからかれこれ10数年の付き合いで、いつかのノーコンに書いたが一緒にボクシングを見に行ったり、こないだは秩父宮でラグビーデートもした、仲良しおやじ(ごめんよ生江さん!)なのだ。
「ちりめん〜」は、現代やくざをリアルに生き生きと描いた映画『竜二』の主演・脚本で鮮烈なデビューを飾りながら、のちに映像化される『ちょうちん』など数本のシナリオを遺し、33歳の若さでガンに倒れた金子正次を描いたノンフィクションである。87年に出版され、生江さんが本を送ってくれた。
『竜二』が公開された時、私は高校生で、ざわめきのように話題を集め始めていたこの映画を、学校をさぼって観に行った。ざらざらした画面の中に、そげた頬に黒いサングラス、痩せこけた体を白いスーツに包んで肩で風を切る金子正次がいた。
その姿はどこか痛々しくて、でもなぜか、とんでもなくチャーミングで、色っぽかった。彼の命は、映画の公開を見届けてからわずか1週間しかもたなかったので、私が『竜二』を見た時には多分もう亡くなっていたと思う。公開直後の死、という話題も手伝って、その後『竜二』は数々の映画賞を受賞し、金子正次の名前は伝説となった。
気が付くと、金子正次が死んだ年齢を越えてしまった。この間思い出して久々に読み返してみたが、いちずな男だったんだなあと思う。そして彼に負けない熱血ぶりでこの本を書いた我が仲良しおやじ生江さんは、今もバリバリ熱血おやじである。
*ちなみに文庫版は、「竜二」のタイトルで出ている。
6.「カポーティとの対話」ローレンス・グローベル(文藝春秋)
山本容子さんの装画による、美しい本である。アル中で、ヤク中で、ホモセクシャル。傲岸不遜で、毒舌家、いつもスキャンダルの渦中にいて、ケチでチビで、ぶちぶち文句ばかりたれていた悪名高き天才トルーマン・カポーティ。オードリー・へプバーンの魅力爆発の『ティファニーで朝食を』の作者であり、全米を震撼させた殺人事件をキチガイじみた執念で取材したノンフィクション『冷血』で世間を驚嘆させ空前の大ベストセラーを記録し、一方では、田園もの、と呼ばれる南部での少年時代の記憶を元にしたノスタルジックな作品群も持つという、もはやほとんど悪魔的に分裂しまくっているこの作家に、名インタビュアーとして知られる著者が、死の1年前までの2年間にわたって行ったインタビューの記録である。不幸な生い立ち、作家論、作品論、有名人とのゴシップ、極端に出たがりであるがゆえの孤高な素顔。生まれ変われるとしたら、ノスリ、という誰も気に留めない鳥になりたいと話すカポーティ。
何か作品を読んでから読むもよし、まずこれを読んで、複雑に絡み合った人間・カポーティの内面に触れたあと、作品に向かうもよし。その濁りゆえの透度の高さを、より実感できるはずである。ちなみに私は、「夜の樹」という短編集がとても好きだ。
7.「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キイス(早川書房)
32歳の知恵遅れのチャーリーは、知性への意欲を買われ、ある画期的な研究に協力することとなる。その過程で起こる様々な事件、彼を取り巻く人々の様子が、チャーリーの手記というかたちでつづられて行く。66年の作品だが、全く色あせることなく、科学とヒューマニズムのはざまで揺れ動く人間の喜びと悲しみが、圧倒的な衝撃と感動をもって迫って来る。知的障害という難しいモティーフを、ダニエル・キイスは差別も偏見もすべて明らかにすることで見事に乗り越えて見せた。そして、全てが集約されていく最後の1行。せつなくて、ただもうせつなくて。
最近の小学校では、順位をつけることを嫌って、運動会でかけっこをなくすところが増えていると、なんかのテレビでやっていた。大人たちは、「アルジャーノン〜」を読んで、パラリンピックを見て、もう一度よおく考えたほうがいいんじゃないだろうか。平等ということは、みんな同じ、ではなく、みんな違う、という場所から語られるべきなのだ。
8.「貯水池に風が吹く日」アン・ビーティ(草思社)
アン・ビーティは、ストーリーテラーではなく、シチュエーションテラーと呼ばれる作家である。アメリカの、おもにアッパーミドルの人々を主人公にした短編が多く、「現代生活の観察者」とも呼ばれている。この短編集も、起伏のある展開をするわけでなく、大事件が起きるわけでもなく、登場人物たちは、自分の日常を淡々と生きているだけである。しかしアン・ビーティはその風景をひたと見つめ、時には冷徹に、時にはあたたかく、何ひとつ見逃すことなく、材料が何気なければ何気ないほど、研ぎ澄まされた言葉たちはクリスタルのような輝きを放つ。歌を書いていて煮詰まると、私はよく彼女の小説を思い出す。すると、ぼやけかけたフォーカスが、ぴたりと合うような気持ちになる。
9.「もしかして聖人」アン・タイラー(文藝春秋)
著者のアン・タイラーは、「ブリージング・レッスン」でピュ−リッツァー賞を受賞した、アメリカ屈指のホームドラマの名手。この作品でも、ひょんなことから兄の自殺の原因を作ってしまったかもしれないとひそかに悩む主人公を中心に、田舎町の家族の移り変わりが、パステル画のようなあたたかい色合いでつづられており、重いテーマをサラリと読ませる。兄の死に続き、兄嫁も亡くなり、兄への贖罪のため、残された3人の子供たちを育てて行こうと決心する主人公。そこで生まれるいびつだけれど本物の愛情、しかし癒されない罪悪感、成長していく子供たち、果たして魂は救われたのだろうか? 戸惑いと混乱の中でたくましく生きて行く家族の姿が、ユーモアあふれる文体であざやかに描き出される。「有名な虹」「雨の見本」など、各章のタイトルと、それにまつわるエピソードが本当に美しい。
10.「リバーズ・エッジ」岡崎京子(宝島社)
これはコミック、いわゆるマンガである。しかし、この作品は少なくとも私が知る限り最高のコミックであると共に、最高級の文学作品である。初めて読んだあと、私はあまりの衝撃と感動に、そのあと何ヶ月もこの本を手にとれなかった。何も言うことはない。エンディング近くで挿入されるウィリアム・ギブソンの詩を紹介しておく。
この街は
悪疫のときにあって
僕らの短い永遠を知っていた
僕らの短い永遠
僕らの愛
僕らの愛は知っていた
街場レヴェルの
のっぺりした壁を
僕らの愛は知っていた
沈黙の周波数を
僕らの愛は知っていた
平坦な戦場を
僕らは現場担当者になった
格子を
解読しようとした
相転移して新たな
配置になるために
深い亀裂をパトロールするために
流れをマップするために
落ち葉を見るがいい
涸れた噴水を
めぐること
平坦な戦場で
僕らが生き延びることを
・・・というわけで、何度も読み返したお気に入りの本たちなので、古いものも多くなったが、気分に合うものを見つけてもらえたら幸いである。昔鷺沢萌さんが、もしも全く読むものがなくなったら、新聞の折込でもいいから読むというようなことをどこかに書いていたが、うん、わかるわかる。酒のみでよかった、音楽家でよかったと思うのと同じくらい、本好きでよかったとしみじみ思う秋である。
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