第14球
知っている人も多いと思うが、サラブレッドというのは生まれて間もなく立ち上がり、その後もほとんど立ったまんま生きて行く動物である。逆に言えば、4本の脚で立っていられなくなったら、死んでしまうということになる。
「走る芸術作品」と言われるサラブレッドは、長い年月をかけて改良に改良を重ね、時には近親配合も辞さず「速く走る為」に創り上げられてきた結果、膝から下はほとんど骨と神経を残すのみとなり、しかも少女の手首ほどの細さしかない。「ガラスの脚」と呼ばれる所以である。その細い脚で500kg近い体重を支え、時速60km近くのスピードで走るのだから、当然故障はつきもの、そしてそれがまっすぐ死につながる場合も少なくない。
1本でも折れてしまうと、体重を支える為のバランスが取れなくなり、残った脚も傷めてしまう。麻酔をかけて治療しようにも、わずか2時間ほどで床ずれを起こしてしまう。ロープで吊って支えられたとしても、神経質で臆病なサラブレッドは、自力で立ち上がれないとわかっている限り、決して眠ろうとしない。宝塚記念の時のグラスワンダーのように、軽傷で事なきを得る場合ももちろんあるが、重傷の場合は、結局麻酔薬による安楽死が最善の措置となる。いわゆる、予後不良。ライスシャワーも、サイレンススズカも、そのようにして死んだ。
走る為に生まれてきて、走れなくなったら死ぬ。その明快さをうらやましく思うことが時々ある。人間として生まれた不幸は、もしかして、生き長らえてしまうということなのではないか、と。
8月20日、世間的にはまだ無名のセレス小林の世界タイトル初挑戦は、深夜の中継録画でオンエアされた。伝統のフライ級。チャンピオンは、強打を誇るフィリピンのツニャカオ。
セレス小林―27歳。妻子あり。黒星のデビュー戦から始まり、決して華やかとは言えない戦績。しかし、ゆっくりと踏みしめるように1歩1歩階段を昇り、日本チャンピオンとして4度の防衛を果たし、世界への切符を掴んだ。そして、そのキャリア同様、これまた決して華やかとは言えないボクシングスタイル。一発強打があるわけでもなく、軽やかにステップを踏むテクニシャンでもなく、ひたすら地道に相手のふところに飛び込んで、連打、連打を繰り返す。
初めてのタイトルマッチでも、小林は驚くべき自制心で自分のスタイルを貫き通し、チャンピオンのほとんどストレートに近い鋭いジャブと左強打にひるむ事なく前に出つづけ、「スタミナにやや難あり」と言われたチャンピオンに対し、しつこくボディブロウを重ね、幾度となく顔をゆがめさせた。文字通り手に汗握る一進一退。小林の粘り強さの前に、チャンピオンの強打は不発、しかし小林もとどめの一発を放つことが出来ず、両者踏みとどまったまま、試合は判定へ。
3人のジャッジ。ひとりはチャンピオン。続くひとりは小林。最後のひとりは、引き分け。
スプリット・デシジョン。規定により、引き分けによるチャンピオンの防衛。
試合開始前には、練習の様子や家族との風景など、盛り上げVTRが山ほど流されたが、引き分けとは言え敗戦が決まり、小林が呆然と青コーナーで膝をつくと、カットアウトで画面はCMに変わり、試合は終わった。
エディ・タウンゼントは言ったという。
「負けた時が大事なの。勝った時はいいの。世界チャンピオンになったら、みんなウオーッといってリングに上がりますね。だっこして肩車しますね、狂ったようになりますね。でもボクならない。一番最後に上がるの。よかったね、おめでとう、というだけよ。夜、ドンチャン騒ぎありますね。でもボク騒がない。ナイスファイト、また明日ね、といって帰るの。でも負けた時は最後までいます。病院にも行くの。ずっと一緒よ。それがトレーナーなの。わかります?」(後藤正治「遠いリング」より)
ジョイス・キャロル・オーツの、余りにも有名な一節。
「人生は、多くの不安定な点で、ボクシングに似ている。だが、ボクシングは、ボクシングにしか似ていない」(「オン・ボクシング」より)
セレス小林のタイトルマッチから一夜明け、20世紀最後の夏の甲子園決勝。
高校生ばなれした強力打線の智弁和歌山と、初の決勝進出となった東海大浦安の対決。
序盤は取られたら取り返すという白熱のシーソーゲーム。智弁和歌山の守備の乱れをつき、東海大浦安が一時は2点差をつける。しかし、エースの故障により大会前から急遽マウンドを守ることとなった、背番号4のキャプテン浜名、右打者のインコースへ食い込む決め球のシュートが安定せず、デッドボールを連発。やむなくアウトコース中心の組み立てでかわし続けるも、連投の疲れには勝てず、8回ついに力尽きた。テレビで見ていても明らかに腕の振りが悪くなっている、というか、もはやほとんど腕が振れず、手投げになっている。前の回、満塁のピンチを渾身の投球でしのぎ、すべてを使い果たしてしまったのだろうか。力なく甘く入ったボールは、快音を残し、軽々と右中間へ、左中間へ、そしてスタンドへ消えた。
9回降板し、本来のセカンドのポジションでゲームセットのサイレンを聞いた彼は、一切涙を見せなかった。20世紀最後の夏が、ひとつ終わった。
その晩、朝方までかかって、新曲を書き上げた。我ながら青臭い、と苦笑しつつ、ありったけの思いで『HERO』というタイトルをつけた。
負けてもいい。やり直してもいい。あきらめてもいい。泣いてもいい。生き長らえて行こう。サラブレッドではなく、人間のように。
少々難産ではあったものの、わが巨人軍は無事マジック点灯。忘れた頃にやってきた、大島ビッグバン打線日ハムの台頭で、パ・リーグは大混戦。オリンピックに向け、感動もらい泣きの準備もしなくては!(笑)
どうやら夏はまだ終わらないらしい。
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