第74球
「あなたのために」

 結果的に自民党が惨敗を喫し、事実上安倍政権の息の根を止めることとなった07年初夏の参議院選挙。投票日を間近に控えたある午後のこと、世の中がどんなに進化しようと、伝統芸能のように変わることのない宣伝カーがけたたましく窓の外を通りかかった。この国のために、未来のために、子供たちの明日のために、そんなセリフと、連呼される候補者の名前を聞くともなしに聞きながら、ふと考えた。
 選挙権を頂いて20年余り。特に支持政党も政治的信条もないけれど、そういうものだと思っていたので、多分8割くらいは投票に行っている。昔、独身だった頃、毎度おなじみ宣伝カーの雄叫びを聞きながら、たったひとりでも、自分のためにこの国を変える、という人がいたら、迷わずその人に一票なんだけどなあ、と思ったことを覚えている。国のためでもない、他の誰かのためでもない、私は私のために、自分が暮らしやすい場所を作るために、政治に携わりたい。そんな人、いないかなあと思っていた。若かったせいもある。生来のへそ曲がりに加え、自分で歌を書いて歌うというエゴイスティックな商売をしていたせいも、大いに、ある。上昇志向の塊だった当時の私にとって、誰かのため、という概念はなんとなく胡散臭く、信じ難いものだった。損得や利害だけではないと頭ではわかっていても、自分を抱きしめることで精一杯だった私は、そんなわけねーじゃん、と粋がって、くるんと背中を向けていた。

 6年前、35歳で初妊婦となったとき、何人かの友だちや先輩子持ちから、子供持つと世界観変わるよ〜、と言われた。その時はまだ、ホントに産めるんかいなすごい痛いって言うけど、ということで頭がいっぱいで、産まれてからのことなんて考えられなかったので、ふーんそういうもんか、と聞き流し、実際産まれてからは、想像を絶する育児のハードさに追いまくられ、音楽との両立に呻吟し、世界観てなんだっけ的にココロもカラダも飽和状態。自分が何か変わったのか変わらないのかなんて考えてる余裕もなく日々は過ぎていった。瞬く間に3年、保育園に放り込んでやっとひと息つけるようになり、3歳児クラスの保育参観でのこと。どちらかと言えばまだヒトよりケモノに近い3歳児、防衛本能生存本能に従い、おもちゃを奪い合ったり、小さい子にちょっとイジワルしてみたり。間に入った先生が言った。自分がされたら、どんな気持ち?
 この基本的な言葉を今刻まなければならないのは、子供ではなく、多分大人だ、と、小さな園庭の片隅で、ひそかに恥じ入るような気持ちで思った。そして、仮にも大人を名乗るとしたら、更に一歩進まなければと思った。大事な誰かが、大好きな誰かがされたら、どんな気持ち?
 おりしもいじめによる子供の自殺が相次いでいた頃だった。他人の痛みを思いやる、その想像力こそがヒトとケモノを隔てるボーダーラインだとすれば、残念ながら今の世はかなりケモノ率高いということになるのかもしれない。かく言う私だって、ホントのとこは家族を持って初めてわかった、っていうか、家族を持たなきゃわかんなかったって、かなり駄目じゃんと苦笑いしつつ、これがあの妊婦の時に言われた、世界観変わるよ、ってヤツかなと、振り仰ぐように思った。

 所詮そうなってみなきゃわかんないとこがニンゲンのかわいいとこ、と、開き直ってみる。ひたすら自分に埋没して生きていた頃は、それこそが強さだと信じていた。自分が死んで済むのならたいていのことは怖くないと思っていた。核をちらつかせながら駆け引きを迫る半島の小国に対しては、ガタガタ言ってないでさっさとミサイルでも何でも撃ちやがれ、と胸ぐらつかんでやりたくてしょうがなかったし、戦争はいかん、と吼えつつ、でも、ま、あたしが行くわけじゃないし、と心のどっかで他人事だった。今はそういうすべてに対して、ひどく単純に、だめ、と言える。あたしが死ぬのはいいけど、あたしの大事な夫や息子が死ぬのは困るからだ。社会性というのは、変形したエゴイズムのことである。駄々、に近い。何か行動を起こしたいという気持ちに駆られて、テレビを主電源から切ってみたり、そうだとりあえず選挙行こう、などと思ったりする。悪あがきにも、似ている。でも、結局のところ無力だとしても、あきらめたくない。自分の痛みではなく、大事な誰かの痛みのために。
 フェイドアウトしていく宣伝カーの絶叫を聞きながら、そんなことを考えていた。胡散臭さは相変わらずだけど、いいよいいよとあたしは思った。愛って、胡散臭いもんね。そうだそうだと、あたしはひとり、頷いていた。

 身捨つるほどの祖国はありや、と寺山修司は詠んだ。自分のためだと思えば、捨てられるもんなんてたいしてない。出来ることなんて、実はたかが知れている。そうさあなたのひとことで/俺はどこまでも行ける とSIONは歌った。07年9月の柔道世界選手権で、育児との両立による調整不足をささやかれた谷亮子が、鬼神のような強さで金メダルを獲れたのはなぜか。08年3月、名古屋国際女子マラソンで惨敗した高橋尚子が、恥を晒してまで完走したのはなぜか。あなたのために。その思いで、ひとは動く。ひとは走る。ひとは闘う。奥底に、守るべきものを持ってしまった弱さを常に抱えて。遅ればせながら、気付けてよかった。ホントに、よかったと思う。

 426O-EAST、あたしがうたう、あなたのうた。胡散臭いけど、愛を、受け取って下さい。

LAST UP DATE 2008.4.24